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バスケ部のT先生と肉まん

小6の時、バスケ部の練習試合で庄内川の向こうの小学校までバスで行った。相手には175センチくらいの大型センターがいて、確か試合は負けてしまったはずだが、ゲーム内容はまったく覚えていない。
でも、試合の後で起きた出来事は、鮮明に記憶している。
顧問のT先生が帰りに肉まんを買ってくれたのだ。

試合が終わり、私を含む部員十数人とT先生はバス停にいた。次のバスまで20分ほど時間があった。みんな腹ぺこだった。たぶん、何人かは実際い「腹へったー」と叫んでいたと思う。
バス停のすぐ脇にパン屋があった。ドア越しに、レジ横で肉まんとあんまんがケースに並んでいるのが見えた。

「……よし! 肉まん、おごってやろう!」

突然、T先生がそう言い出した。
すごくビックリした。普段、親にねだっても、肉まんはなかなか買ってもらえなかったからだ。それに「買い食い」は禁止なのに、先生がルール破っていいのか。

「内緒だぞ!親にも、学校でも、誰にも言うなよ!」
念を押す先生と一緒にお店に入って、ひとりひとり、肉まんとあんまんの好きな方を選んでいった。私は肉まんを選んだ。あんまんは、熱々だと餡でよく舌を火傷したので、苦手だった。

バスを待つ間、みんなで「うまい」「うまい」と言いながら、肉まん、あんまんを食べた。先生も一緒にニコニコしながら食べていた。
当時、肉まんは1個60円か、80円だったはずで、部員みんなの分で千数百円ほどかかったのだろうか。貧乏キッズの1カ月分のお小遣いがほぼ飛んでいく大出費で、「大人って、すごいな」と驚いた。

大人になってみると、先生の大盤振る舞いの理由も分かる。
腹を減らした小学生の群れの目の前に、ホカホカの肉まんとあんまん。
千数百円で、みんなが笑顔になる。
しかも「内緒だぞ!」と共犯関係になって遊べる。
そんな愉快な絶好のチャンス、滅多にない。

この季節、コンビニで肉まんを買うたび、T先生がご馳走してくれた「あの肉まん」を思い出す。
T先生の気まぐれな「買い食い」は、私の一生の思い出なった。

T先生の口癖は、「俺は小学校から大学まで、ずっとバスケ部だったけど、一度もレギュラーになれなかった」だった。
自虐ギャグとして子どもはみんな笑っていた。
でも、この言葉も大人になって振り返ると、バスケへの信仰告白だったんだな、気づく。

T先生にはもうひとつ、忘れられない食べ物の思い出がある。

名古屋市内南部の、普段はあまり行かない方面で練習試合が入った。
その小学校はT先生の母校で、ご自宅もすぐ近く。ツテがあったのだろう。
そして、そこは市内屈指の強豪でもあった。
練習試合では、体育館に入ったらコートサイドに並んで「よろしくお願いします!」と挨拶するのが習いだった。
向かい合って整列した相手をみて、ビビった。
170センチを超える長身の選手が2人もいたからだ。中学生が混じっているのかと思った。
我がチームで一番背が高かったのは160センチほどの私。当時はそれでもたいてい「クラスで一番大きい男子」だった。

試合が始まってみると、2枚の大型センターは技術も格段に上だった。
ゴール下や制限区域内のミドルシュートは、まともに打たせてもらえない。一応、センターをつとめる私は、何度も、何度もブロックをくらった。
ガードやフォワードの選手もロングシュートをほとんど練習したことがなかったので、攻めようがない。なお当時、まだ3点シュートはなかった……。
一方の相手は、センターふたりが連携すれば楽々とイージーシュートに持って行ける。外から打ってこぼれても、リバウンドからリカバリーされる。
そんな調子でぼろ負けした。スコアも覚えている。72対9だった。差がありすぎて、涙も出なかった。

この試合の後、T先生は部員みんなをご自宅に連れて行き、お母様特製のカレーライスをご馳走しれくれた。
近所だからついでに飯でも、という流れだったけれど、強豪相手にボロ負けするのがわかっていたのも、理由のひとつだっただろうと思う。

こたつテーブルやちゃぶ台をつなげて、みんなで並んで食べたカレーライスの思い出が、屈辱的な敗北のトラウマを上書きしてくれた。

こちらのツイートに書いた思い出を加筆しました。

バスケ好き、スラムダンクファン、オールドNBAマニアの方、こちらもぜひ。

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