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父は語り、娘は描いた 「膝のり赤ちゃん」が成人するまで

今日、長女の成人式があった。
誕生日は少し先だけど、まずは御成人、おめでとうございます。

「noteに何か書き残しておこう」と、ゴロゴロしつつアイデアを練っていたら、バイトから帰った御本人にボディプレスをお見舞いされ、「グフッ!」と声がもれた。
ついでに「何を書いたらいいかねぇ?」と相談してみたところ、

「いかに素晴らしい娘か、20年分、書いたら!?」

という臆面もない提案があった。「けっこうnoteにキミの娘自慢は書いてるよ」と応じると、「書いてない素晴らしさがもっとたくさんあるでしょ!」と想定通りの言葉がかえってきた。

熟慮の末、発注者=長女と読者=私のニーズの均衡点を、「父は語り、娘は描いた」というタイトルで書いてみる。
育児体験を通じて私は「お話を語る人」になった。
娘は物心ついてから、ずっと「描く人」で、お絵描き大好き三姉妹の道を拓いた。

「お人形動かして!」~~パパ時代

ここに一葉の写真がある。

「膝のり赤ちゃん」の頃の長女様。生後半年くらい。
ゲーマーだった私は、ソファに座り、ももの上の長女をユラユラ揺らしてご機嫌を取りつつ、『ムジュラの仮面』に夢中だった。長女は「ンゲー!」とよく笑う赤ちゃんで、一緒に「ンゲー!」と笑っていた。
2000年に長女が生まれた時、私は27歳だった。

赤ちゃん時代で忘れられないのは匂いだ。
よくあるミルクの香りだったのだが、マンションの玄関を開けると「練乳2リットルぐらいこぼした?」と思うほどパワフルな発生源だった。
帰宅してドアを開けるだけで何とも言えない幸せな気持ちになった。

お気に入りの遊びは公園ではブランコと砂場。おうちではお人形遊びとお絵描きだった。
お人形遊びがやりたくなると、「おにぎょー!あ!そび!」とリクエストされた。妙なのは娘は自分で人形を動かさず、「パパ、おにぎょー、うごかして~」とおねだりするだけなのだった。
お父さんがストーリーをでっち上げて寸劇をやると、娘はキャッキャと喜んだ。飽きて「おしまい!」と打ち切ると、「もっとうごかしてえぇ~~」と食い下がってくる。
子持ちの皆さんご存知の無間地獄である。
思えば、これが私が「語り部」になった端緒だ。

お人形の寸劇の一番人気は、ドラえもんでも、キティちゃんでもなく、「セバスチャンズ」だった。
当時、ペットボトルにこんなオマケの人形を付ける企画があった。

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(ヤフオクより。クララ、がっつり立ってますな…)

ご存知「アルプスの少女ハイジ」。後列右から2番目の執事がセバスチャンだ。ハイジ好きの長女のために収集していたらカブってしまい、我が家は執事が2人いるハイソな家庭となった。
お笑いコンビ「セバスチャンズ」の誕生である。
お風呂では、湯船の縁のステージの右と左からちょこちょこ登場する。

セバスチャン1号「セバスチャンズで~す」
セバスチャン2号「きょうもさむいねぇ」
セバスチャン1号「なにが、さむいねん! おふろやないか、ここ!」

といった即興ネタを関西弁で展開するコンビだ。
いや、展開するのは私なわけだが。
これも「もう1かい!」「またやって」の無間地獄だった。

無間地獄だけど、お人形遊びは楽しかった。
小さいころ、私は自分でシリーズ物のストーリーを考え、おもちゃと妄想ワールドで延々と遊ぶ子どもだった。
子育ては、自分の子ども時代の追体験でもある。
すっかり忘れていた「お話を作る子ども」だった自分が蘇るようだった。

そのうち、私は「絵本作家デビュー」も果たした。
詳しくはこちらのnoteに。

長女のお絵描き人生は1歳過ぎあたりから始まった。
最初のツールは、奥様が子供のころ愛用していた20年物の「せんせい」だった。クレヨンなどが使えるようになると、スケッチブックや裏紙にほぼ毎日、お絵描きをしていた。
このころに読み聞かせまくった絵本の影響で、長女画伯は最初の傑作をものにする。

「お話して!」~~ お父さん時代 前期

2003年1月の長女の誕生日に、私の「パパ時代」は突然終わった。
長女が突然「もう3さいだから、パパとママはやめて、おとうさんとおかあさんってよぶ」と宣言したのだ。
実際、2度とパパと呼ばれることはなかった。びっくりした。
次女と三女が長女の呼び方をマネしたので、私はこれ以降「お父さん」になった。
この頃の長女画伯の最初の傑作がこちら。

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どうということはない絵なのは承知だ。
だが、この「せなけいこテイストのオバケ」は奥様と私の大のお気に入りで、長くリビングに飾ってあった。

この頃から長女は、体調不良でもない限り、文字通り毎日、お絵描きをする人になった。会社から持って帰る裏紙に、飽きもせず延々とお姫様やらお城やらドラえもんやらアンパンマンやら動物やらを描いていた。
「お絵描き」は大学受験の直前まで10数年間、途絶えることなく続いた。

パパからお父さんにジョブチェンジした私は、長女のウケをとるため、語り部としてのレベルアップを目指した。
その一環が、昔話や絵本のストーリー改変だった。
たとえば桃太郎なら、絵本をめくりながら、

ある日、おじいさんが山登りに行っている間に、おばあさんはちょっと泳ごうかな、と川に行ってみた。
あれ! 大きなお尻が流れてきた!
おばあさんがお尻を持って帰ると、おじいさんが、
「ちゃんと2つに割れていないのう……これではウンチが出てこなくて困るじゃろう」
と、包丁で2つに割ってあげた。すると! 中から男の子が飛びだした!
「大丈夫!ぼくのお尻は2つに割れてるよ」

といった調子でデタラメな筋をでっち上げながら読み聞かせる。
オリジナルを覚えている娘には大うけし、お父さんも楽しい。
絵本を逆さに読むという「裏技」もよくやった。
せなけいこ先生の「ねないこだれだ」なら、

ある夜のこと、ルルちゃんという女の子が、おばけと一緒におばけの世界からやってきた!

といった調子で、本を後ろからめくりながら、デタラメな話を作る。
これもウケたし、楽しかった。

寝かしつけのときも、私は「語り部」になった。
週に1度か2度、布団で一緒にゴロンとなると娘が「おはなしして~」とくるので、その場で思いついたデタラメな話をした。
定番で人気があったのは「魔法使いルルちゃん」シリーズ。トラブルを魔法で解決したり、逆に魔法でトラブルを起こしたり、ドラえもんタイプの短編をアドリブで10分くらい話す。
あまり盛り上げると興奮して寝られなくなってしまうので、さじ加減が大事。物語に引き込んだあたりで静かなシーンを挟みこんで眠りこませる。
たまに一大活劇になってしまい、奥様に「キャーキャー言ってないで寝なさい!」と呆れられたこともあった。
次女がすこし大きくなってからは、2人の娘を相手に「寝かしつけ語り」の習慣が続いた。

私の小さい頃の「寝る前に脳内でお話を再生する」という癖は、いつごろからか途絶えがちになっていたのだが、この「寝かしつけ語り」に加えて家庭内連載という妙なことを始めて完全復活した。

「早くつづき書いて!」~~ お父さん時代後期

小学校に上がって長女のお絵描きライフは加速した。
勢いがつくように、私はどんどんツールを供給した。
36色の色鉛筆を愛用していた長女に授けたのが2つのアイテムだった。

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三菱の100色セットの色鉛筆とワコムのペンタブ。
ペンタブ購入は案の定、お絵描きの方向性を「絵師様」方面に偏らせた。
このあたりは長女様的には黒歴史らしいので色鉛筆の力作を1枚だけ。

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この頃の私のお気に入りは、10歳の長女が学校の授業で作った版画の自画像だった。これも長年リビングに貼ってあった。

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同じころ、私は「家庭内連載作家」に転身した。
ある日、深夜に帰宅すると、食卓に原稿用紙の束があった。長女の宿題用のもので、すぐ横に鉛筆も転がっていた。
ビールを飲んでいたら、原稿用紙に誘われて何か書いてみたくなった。
どこからともなく『ポドモド』というタイトルが降ってきて、「この変な言葉の意味が分かったらおしまい、という童話にしよう」と軽い気持ちで書き始めた。
これが思いのほかウケて「つづき、はやく書いて!」とねだられた。ホイホイ書いていたら150枚オーバーの大作になってしまった。
『ポドモド』はこちらで全文読めます。表紙・挿絵は次女が描いてくれた。

Kindleの方が読みやすい方はこちらから。Unlimitedならタダで読めます。

この家庭内連載の第2弾が、後に書籍化された『おカネの教室』だった。
『おカネの教室』の連載は、休載を挟みつつ、長女が10歳から16歳になるまで7年続いた。
その間も娘は絵を描きつづけ、私には、まさかの「お父さん卒業」という運命が待っていた。

「大人の階段」をのぼる娘 「さみお」時代 前期

「さみお」。
これは私の家庭内呼称だ。「さみおん」というやや丁寧な呼び方もある。
命名したのは長女だ。
「おいしみ」とか「やさしみ」とか、語尾に「み」を付ける若者言葉のノリで、2016年春からのロンドン駐在時代に「おとうさんみ」という言葉を三姉妹が使うようになった。母親は「おかあさんみ」。
そのうち語尾が「さみ」と省略され、「おとうさみ」と「おかあさみ」を区別するため、父は「さみお」、母は「さみこ」となった。
うん。自分で書いていても、よく分からない。

「さみお」はロンドンでせっせと『おカネの教室』を書いた。
その辺りの経緯はこちらに詳しい。とても長いです。

この間、長女はお絵描きの腕をメキメキ上げていった。
長女の絵のファンの私は、ノートの落書きやペンタブの作品などをPCやiPadに大量に収蔵している。
ここではお姉ちゃんとしての長女の優しいところをご披露しておく。
7歳になった三女に贈った誕生日プレゼントの「ぬりえブック」だ。表紙は三女の似顔絵。そっくり。中身は三女のお気に入りのキャラクターがそろっている。

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私への誕生日のプレゼントも、いつも絵だ。
下の絵は最初のデジタル版。小学生のときに描いてくれた。

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ネコの顔が長女に似せてあるのが楽しい。
私は誕生日にはいつも三姉妹にイラストをリクエストしている。

長女のプレゼントのイラストは年々、進化を遂げていった。

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これは「もち」になった高井家ファイブ(父・母・三姉妹)と妹2人のお気に入りのお人形2体がゲスト出演したもの。私が41歳、長女が13歳の時の作品。手のひらサイズのカードに印刷してラミネートしてくれた。いまでも会社のデスクに飾っている。

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これはその5年後の2016年のイラスト。
このとき私は先に一人でロンドンに行き、ゴールデンウィークに合流する家族を待っていた。メールでとどいたこのイラストは、ちょっとしたサプライズで、すごく嬉しかった。左下から時計回りで長女、奥様、次女、三女の似顔絵。
特に傲岸不遜な次女がメチャクチャ似ている。長女は次女を描かせたら、おそらく世界で一番うまい。

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これは結婚20周年のお祝いに描いてくれたイラスト。天使の三姉妹がバカっぽくて、とても気に入っている。
私が着ているチェックのシャツはなぜか長女のお気に入りで、今日の晴れ着姿との記念撮影の時にも「これで!」と指定があったので、今もこれを着てnoteを書いている。

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ロンドン時代、すごく寒い日に出かけて、帰ってきてから長女が描いた落書き。ぬいぐるみ風なのに服装の再現度が異常に高い。

そして何といっても、私の一番のお気に入りはコレだ。

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なぜか忍者の三姉妹。縁側でくつろぐ「さみこ」と和服の「さみお」。
この絵は、2017年の誕生日にもらった。
この前年の秋に「おカネの教室」の家庭内連載が完結した。2017年3月にKindleで個人出版したら想定外の大ヒットとなり、高井家内は「さみおは文豪」というネタが盛り上がっていた。だから、私は和服で髭を蓄え、パイプをくわえた文豪風に描かれている。

そして成人へ…… 「さみお」時代 後期

ロンドンから帰国して、長女は受験生になった。
さすがに毎日お絵描きしている暇はなくなった。それでも楽しく「赤本撃墜戦記」をイラストで埋めたり、「おしり!おしり!」と連発したりしているうちに、なぜか東大に受かった。その辺りの顛末はこちらを。

大学生ともなると、講義だのサークルだのバイトだの、日々大変お忙しくなる。
私もそれなりに本業・副業とも忙しいので、以前ほど長女と一緒に過ごす時間は長くない。そりゃ、まぁ、そうだ。

(追記=2023年 その後のお絵描きライフについてはこちらに)

そして本日1月13日、長女様は成人式をお迎えになった。プライバシーと投稿のクオリティーに配慮した後ろ姿ショットを。

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高井さんも歳を取るはずだ。子年生まれなので、還暦まで最終ラップに入ってしまった。

さて。
あの高井さんの優雅な生活に押し入ってきた「膝のり赤ちゃん」はどこにいってしまったかと言うと……

……


……


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(お正月の高井さん・長女・姪っ子の三階建てショット)

まだ膝の上にいるのです。


オマケ
高井さんが描いたポニーに乗った長女様。

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