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「書くべきことを、読めばいい」 オジサン記者から新米記者諸君へ

私は、noteでは本業(新聞記者です)のことはほとんど書かないようにしている。諸般の事情もあるが、単純に楽しくないからだ。「別人格によるストレス発散の場」で仕事のことを書くほど真正マゾではない。
なので、この投稿はちょっとした例外だ。

では、なぜ朝っぱらからこの文章を書いているかといえば、それは新型コロナウイルスのせいだ。

他のお仕事と同様、記者も今、新型コロナの影響で「仕事のやり方」の大きな変化に直面している。
なかでも一番大きな変化は、「人に会えない」ことだ。
取材してナンボの商売なので、四半世紀やっているオジサンでも、これは深刻なダメージだ。本当に困っている。

日々困っていて、ふと「自分が今、入社1~2年目の若手記者だったら」と想像して、ゾッとした。
まだ仕事のやり方も分からないうちにこんな状態になったら、五里霧中のパニックか、フリーズして立ち往生してしまいそうだ。
職場で先輩記者と一緒に仕事ができないのも、痛いだろう。同席を避けたい諸先輩もいるかもしれないが。
最近、こちらの投稿で某大先輩から受けた薫陶について思いを巡らせたこともあり、いい歳したオジサンとして、ひとつだけアドバイスをしておく気になった。

それは、某ベストセラーのタイトルから剽窃して集約すると、

「書くべきことを、読めばいい」

となる。

私はほとんど記者稼業しか経験がないので、他のお仕事でこのやり方がどれぐらい普遍性があるのかは、分からない。
でも、もし何らかの形で「文章を書く」という作業が求められるお仕事なら、あるいは「自宅待機を機にnoteなどを書いてみようかな」という方なら、ある程度、参考になると思う。

最初は「写経」から

では、少々昔話を。

私は1995年の春に記者になった。
当時は「名刺交換のやり方だけ教えたら現場へGO」みたいな時代だったので、今頃はちょうど、「アポ入れて取材して原稿を書く」という基本を諸先輩から習っていたころだ。
半年ちょいの間に「自力で短い原稿が書けるようになってきた」となって、仕事の効率が上がり、仕事がどんどん面白くなっていった。
スタートダッシュできない後輩諸君が気の毒だ。

私が短めの原稿が書けるようになったのは「写経」の成果だった。
毎日1~2本、記事を丸写しするという、昔からある訓練法だ。

毎朝、新聞各紙を読むのは新人・若手の基本動作だ。
この時、「これは」という記事をピックアップしておく。
最初はベタ記事から選ぶ。ベタでも、よく読めば良し悪しは明確にある。
その日の仕事が終わったら、その記事を写す。手書きではなく、PCでパチパチと打つわけだが、小声で音読しながら、写す。
これが「写経」だ。
これと、各種パターンのベタ記事のスクラップを作っていけば、1か月もすれば「お手本」を見ながら、2か月も経てばお手本無しでベタが書けるようになる。

ベタを「クリア」したら、同じことを次は2~3段見出しの記事でやる。「段」をクリアしたら、「ワキ」へと進む。
このステップを、地道に、毎日欠かさず続ければ、短めの原稿は誰でも書けるようになる。

ということで、日本全国の新人・若手記者諸兄姉。
取材に行けず、普段より時間が余っているでしょう。あるいは社内研修の予定が狂って、「自宅待機」的な時間が増えていると想像する。

まずは、新聞を隅から隅まで読もう。ネットの記事でも良いが、短い「雑報」をじっくり読みこむべきだ。そして「短くて、とてもよくまとまっている記事」を探すのだ。
なぜなら、それが当面、あなたが「書くべきこと」だからだ。
「書けるようになるべきこと」と言っても良い。
余裕があるなら、私のように「写経」することをお勧めする。

四半世紀前のユーレカ体験

「もう短い原稿は余裕なんですけど」という、優秀な若手の記者もいるだろう。
そんな方にも、やはり「書くべきことを読む」をお勧めする。
再び、オジサンの体験談をシェアする。

「写経」は一定のパターンに沿って書ける短い原稿では極めて有効だ。いったん「型」が身につけば、そこにファクトを流し込めば良い。
だが、経験上、長い原稿、アタマ記事や企画記事はこの延長線上ではなかなかうまく書けない。
構造が複雑になるので、パターン化と模倣が難しいのだ。

新聞記事に限らず、1パラグラフから2パラグラフで終わる短文は、日本語の文章がまともに書ければ、難易度は低い。
事実や言いたいことを、まっすぐに書けば良いからだ。
これが短い記事は「写経=模倣」で書ける所以だ。

パラグラフが3つ以上になると、構成と論理展開の重要性が一気に増す。
新聞記事は、雑誌やネットの記事より短いので、パラグラフは3つ程度が限界だ。この制約が難易度を上げる。
3つのパラグラフに入れるファクトや考察を複数の候補からピックアップしなければならないからだ。
感覚的には、取材でパラグラフ8~10個分のエピソードやファクトを集めて、そこから3つか4つを選んで構成することになる。
この「捨てる」が難しい。人間はケチなので(私はそうだ)、惜しい。もったいない気がする。
そんな「もったいないオバケ」のせいでアレもコレも放り込むと、構成が崩壊して迷走した原稿が出来上がる。というか、これでは「出来上がらない」。ただの欠陥商品だ。

老婆心ながら。
上記の事情は、分量に制限のないネット記事やブログでは逆の「落とし穴」になる。
「全部乗せ」で、長大だけど、読むのが苦痛で、不明瞭な構成で何が言いたいか分からない原稿が、ネットには氾濫している。
はい、私のnoteのことです。
老婆心とか言ってる場合じゃない。

閑話休題。
入社して半年ちょっと経った時点で、私はアタマ記事や企画、字数にすると1200字から1700字くらいの原稿に苦戦していた(当時は活字が小さくて、今より記事の字数が多かったのじゃよ、若いの……)
そこでラッキーな出来事があった。
社内の研修で1カ月半ほど、「現場」を離れることになったのだ。
研修の部署は、いわゆる校閲だった。
紙面を第三者的にチェックして、事実や文章の誤り、誤字脱字を発見する、目立たないけれど極めて重要な「縁の下の力持ち」的なお仕事だ。

昨日まで取材に飛び回って「書く側」だった私は、急に「読む側」に回った。
しかも、ただの「読む」ではない。
『もやしもん』的に言えば、「スゲー読む」のだ。
どれぐらいスゲーかというと、新聞の同じページを最低10回ぐらい、通して読む。新しいゲラが出るたび、一字一句、赤鉛筆を引きながら。
元資料に当たって数字や固有名詞を確認し、「てにをは」や語句が適切かも性悪説、つまり「記者は間違える」という前提で読む。

これを毎日、8時間ぐらいやった。やったというか、やらされた。
正直、すぐ飽きた。「他人の原稿のチェックじゃなくて、オレは自分で原稿が書きたいんだけど!」と腹が立ってきた。
ところが。
嫌々やって2週間ほど経ったあるとき、とても良く書けたアタマ原稿に出会った(「上から」だな、新人の高井記者)
それは、ある役所がちょっとした新しい政策を検討しているという、よくある内容だった。
記事自体は面白くも何ともない。
面白くはないのだが、その原稿はめちゃくちゃ分かりやすかった。
「痒いところに手が届く」どころか、「痒くなる前に『そこ』をかいてくれる」ぐらい気が利いていた。
知りたいことが知りたい順に出てきて、最後まで読めば疑問点はゼロ、という感じだった。
ファクトのチェックを終えた後も、私はその原稿を繰り返し読んだ。
そして「これは、自分がまだ書けないけど『書くべき記事』だ」と痛感した。

その日から私の「読み方」が変わった。
校閲的なお仕事はちゃんとやったうえで、長めの原稿を「なぜ?」と分析するようになった。

「なぜこの順番で書いているのか」
「なぜこのファクトを入れているのか」
「このエピソードを書くためにどんな取材が必要なのか」
「この部分がぼかしてあるのはなぜか」
「この識者のコメントを挿入しているのはなぜか」

視点を変えたら、毎日8時間の苦行も、パズルや推理小説を読むように面白くなった。
「下手な原稿」と「分かりやすい原稿」の違いも、段々分かってきた。
校閲での研修が終わってからもこの「読み方」を続けて、少しずつ、「どう書くべきか」を身に着けていった。
振り返るとこの「スゲー読む」から得た体験は、大きな財産になっている。私が実際に「長い原稿」を自力で書けるようになった、「書いたらそのまま載る」ようになったのは、それから5年後ぐらいのことだ。
これが早いか遅いかは、よく分からない。
でも、「書くべきことを読む」をやっていなければ、もっと時間がかかったか、下手すると未だに「書けない人」のままだっただろう。

ちなみに「分かりやすい原稿」は、必ずしも名文ではない。
そういう「上手い原稿」を目指すのは、新人・若手の方にはオススメしません。基本が先ね。

今は、読みまくろう

オジサンの悪い癖で薄っすら自慢話になりかけているので、そろそろ。

取材に行けないので情報収集が難しく、在宅勤務で先輩記者に相談する機会も減って、今は皆さん大変だと思う。新人さんは不安だろう。
でも、相手は伝染病だ。焦っても、しょうがない。
もし、通勤が減った分だけでも時間に余裕ができているなら、ここは「スゲー読む」を実践してみてはどうだろうか。
短い原稿がまだ苦手なら、「写経」も激烈にオススメする。

例外的な「記者講座」、これにて終了いたします。
もっと若い人や一般の人には、こちらのnoteもオススメいたします。

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