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「鼻出しマスク」騒動の教訓

ここ2~3日、ネットやテレビで、大学入学共通テストで試験官の注意に従わずに「鼻出しマスク」を続けてレッドカードをもらった受験生が話題になっている。

初報はこの辺りだろうか。

要点を抜粋・引用する。

初の「大学入学共通テスト」で、東京都内でマスクから鼻が出た状態のまま繰り返し注意をされても正しく着用しなかった受験生が不正行為と認定されすべての成績が無効となった。
監督者が試験中に6回、さらに休憩時間にも注意をしましたが従わなかった。6回目には「次に注意された段階で無効になる」と告げたものの、その後も応じず、すべての成績が無効になった。

最初のニュースに触れた私の感想は、「これは確信犯か、ちょっとおかしな人だろう」というものだった。
マスクのつけ方ではなくて、問題は「試験管の指示を無視したこと」と認識した。

最初からあった違和感

ひとつめの教訓は、コロナが関係すると、問題をフラットにとらえられなくなる恐れがあることだ。

これがもし、マスクではなく、アンパンマンのかぶりモノを装着し、「他の受験生の気が散るから、やめろ」と6回言われてもやめず、結果、退場処分となったとしたら、どうだろう。

ただのアホだ。

実際、私は「しょうもないヤツがいるもんだな」と思った。
ところが翌日のテレビのワイドショーでけっこうな時間を割いて、専門家の見解まで紹介されていた。
「正気か」と驚いた。

ツイッター上でも、著名人(リベラル寄りの人が多かった印象)が「受験生の権利を守れ」「失格は行き過ぎ」「何か事情があったのだろう」「救済できなかったのか」といった趣旨の擁護が見られた。国会でちゃんとマスクを着けていない某大臣との対比で「不公平」といった声もあった。

おいおい。

かなり、クラクラ来た。

結果から見れば、この「受験生」の行動は、失格に値する相当おかしなものだった。
「受験生が40代であることは問題の構図に影響しない」といったエクストリームな擁護もあるが、50近くでこんなことをやらかしている時点で、そういう議論の対象にすらならないのでは、と思ってしまう。

この件で考えた方が良いのは、なぜこんな騒動になったか、だ。

「反権力」のバイアス

結論だけはしょって書くと、「失格は行き過ぎ」と擁護に飛びついた論者には「反権力でモノ申す」というバイアスがあったのではないか。

「杓子定規なルールに縛られた試験官が、政治家すら守っていないルールに従わなかった無垢な受験生の人生を台無しにした」

分かりやすいストーリーだ。

でも、ちょっと考えてみよう。
大学入試の現場で、「受験生の利益に反する形で権力を行使してやろう」と思っている人間がどれほどいるだろうか。

「なぜ試験官なんてやらされなきゃいけないのか」と思っている人は、かなりいるかもしれない。
でも、多くの試験官は教育者であり、ほぼ100%が「元受験生」だ。受験生の親の世代だっているだろう。
「スキのある受験生を追い詰めてやろう」なんて人間が、どれほどいるだろう。

危うい「正義」

私たちは「正義を振りかざすとき」ほど、慎重になるべきだ。
いっそ「正義を振りかざす」なんて蛮行は、なるべく避けた方が良い。

正義を手にしたとき、人間は仮借ない攻撃者となる。

でも、現場を見たわけでもなく、詳しい事情も分からないのに、誰かを擁護したり、ましてや誰かを糾弾したりするのは、かなり危なっかしい。

ネットに流れている情報なんて、現実・真実の一面、下手したら1割や2割程度の情報量しかない。

詳しい事情も分からず、「こうだろう」という憶測で何かモノを言う、特に誰かを断罪するのは、慎むべきだ。

もちろん、私はこれを後知恵で書いている。
でも、私にはその資格がある。
よく分からないことで誰かを責めるのは、かなり間抜けで、無責任な行為だ。
私は「こうだろうな」と思いつつ、「本当はどうだか分からないから、言うことはない」と踏みとどまった。

つまり、こういうことだ。

みんな、落ち着いて、深呼吸してから、モノを言いましょう。

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