見出し画像

【は】 話しづらい人って、いません?

僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在期間は5年と8ヶ月になる。

今回の騒動でマレーシア政府は厳格な外出禁止令を発布して、警察や軍隊が道路のあちこちで検問を行ったため、1ヶ月ほど家の中に閉じこもるという生活を余儀なくされた。

当然飲みにもいけないので、オンライン飲み会というのを何度かやってみた。これはこれでとても面白くて、日本に一時帰国したときに酒を飲むのを楽しみにしていたような友人たちともいっしょに酒を飲んでいるような気分になって、なんで今までやらなかったんだろうと後悔したぐらいだ。

日本にいる両親や兄弟はもちろん、大切な友人にも無事でいるかどうかの確認電話やLINEも何度かしたし、この騒動の前よりもむしろ日本と連絡をする機会が増えたような気さえする。

普段より日本語を話す機会が増えたことで、日本にいたときになんとなく感じていた「特定の人に対する話しづらさ」を思い出した。

人はみんなそれぞれ違うので、僕がAさんに対して「話しづらさ」を感じたとしても、BさんにとってAさんはとても話しやすい人かもしれない。

すごく個人的な印象ですと前置きした上で、この「話しづらい」タイプの人は何パターンかに分類できるような気がするので、整理してみたい。

パターン① こちらの話を全然聞いていない人

このパターンの人は、自分に興味のない話は耳に入ってこないタイプの人なんじゃないかと思う。

例えば、「田中くんが日本ダービーで給付金をぶち込んで大儲けしたらしい」→「じゃあそのお金がなくなる前に連絡してお寿司を奢ってもらおう!」みたいな話の流れだったとする。

「田中くんが日本ダービーに給付金を全部ぶち込んで大儲けしたらしいよ!」
「10万円も??いくらぐらい儲かったのかしら?」
「配当は低かったけど17万円儲かったって!」
「あの人毎週競馬やってるから、お金が無くなっちゃう前に奢ってもらいましょうよ!」
「確かに。俺LINE知ってるからいま連絡してみるよ。」
「お願いお願い!私お寿司食べたい!」

こういう感じの会話になるのが普通なのだが、このパターンの人がいるとこんな感じになる。

「田中くんが日本ダービーに給付金を全部ぶち込んで大儲けしたらしいよ!」
「10万円も??いくらぐらい儲かったのかしら?」
「配当は低かったけど17万円儲かったって!」
「そういえばさ、給付金ってもうもらった?なんか手続きの仕方がよくわかんなくてさ、まだ俺もらってないんだよね」
「地方自治体によって給付の時期が違うみたいだから、市役所のホームページ見てみるといいわよ。それでさ、田中くんって毎週競馬やってるから来週になるとお金が無くなっちゃうかもしれない。今週中に奢ってもらいましょうよ!」
「確かに。俺LINE知ってるからいま連絡してみるよ。」
「田中と俺って同じ市に住んでるから、あいつがもう給付金もらったっていうことは俺ももらえるってことかな?」
「それは俺たちにはわからないから自分で調べないとだよね。俺もまだもらってないよ。」
「それより早く連絡お願い!私お寿司食べたい!」
「OK!ちょっと待ってね。いま連絡する!」
「ついでに田中に給付金もらったか聞いてみてもらえないかなぁ。」
「自分でやれ!ボケ!」

この人にとって興味があるのは給付金だけで、競馬で当てた田中くんにお寿司を奢ってもらおうという会話の主旨が全然わかっていないんだと思う。

話を全然聞いていないのか、興味のあること以外は聞こえない耳を持ってるのかわからないが、このタイプは僕にとってはとても話しづらい。

パターン② 自分の話ばかりする人

これはパターン①と似ているのだが、ちょっと違う。
僕の母親なんかはこの典型なんだけれど、年に1、2回日本に一時帰国して実家に顔を出しに行ったりすると、堰を切ったようにマシンガントークが始まる。ただ聞いていればいいのであれば僕も全然大丈夫だし、まあ70歳後半で元気な様子を見ることが出来るからちっとも話しづらいということはない。
というか、そもそもこちらが話さないので、話しづらいと感じる暇がない。

ただ「3丁目の橋本さんの息子さん、離婚しちゃったみたいなのよ」みたいな話をされると困ってしまう。
そもそも3丁目の橋本さんを知らないし、誰が離婚しても他人の人生だしコメントする気もないんだけれど、育った環境が全然違う家内に対しても同じような話をするので「橋本さんって誰だっけ」みたいな話をしないといけなくなる。

「あらー橋本さん忘れちゃったの??あなたと小学校のときに同じクラスだったって言ってたわよ。」
「あ、そうなの。忘れちゃったな。俺でも忘れてるんだから家内がわかるわけないよね(笑)」
「それでね、その息子のお嫁さんだった人がね・・・・・・」

こういう感じの会話が繰り返されて、僕たちは橋本さんのことを全然わからないまま話をしなければいけなくなるのだ。

例えば、恋愛でうまくいかなくなってしまった女性に「話を聞いてほしい」と飲みに誘われたりした場合、僕は全く苦にならない。

とにかく相手は話すことでストレスを発散したり同意を得て安心したりすることを明確な目的として持っているので、僕もそういう態度で接していればいいし、会話としては9対1ぐらいで相手が話すので、話しづらいと感じることはない。

自分の話ばかりしてくれるのであればそれで全く問題ないのだが、時に会話を要求されてしまうと途端に「話しづらさ」が出てきてしまう感じだ。

パターン③ 会話を途中で切ってしまう人

このパターンは最近の20代ぐらいの人に多いような気がする。テレビのバラエティ番組に出てくるひな段芸人たちが大好きで、彼らが芸でやっているコミュニケーションを現実の友人関係でもやって来たような人という印象が強くあって、このタイプは自分がヤバいと気づいていないだけにたちが悪い。

「私2年付き合ってた人とこの間別れちゃったんです。好きだったんだけど私から別れようって言ったの。」
「そりゃまたどうして?」
「彼が全然仕事をしないで、就職する気もないみたいで。それでなんだかこの人とずっと一緒にいて大丈夫かな、っていう気持ちになっちゃって。」
「彼は何歳ぐらいなの?」
「私より一回り上で35歳。周りの同年代の人達はちゃんと仕事してるし、私が何度言っても聞いてくれなかったから。」
「そうか。まあもしかしたらいいタイミングだったのかもしれないよ。結衣ちゃんまだまだ若いし可愛いから、すぐ次が見つかるって。」
「そうかなぁ。結構好きだったんですけどね。」
「これが終わりっていうわけじゃないよ。これから始まりだよ!」
「そうですよね!前向いていきます!!」

こういう話があったとして、パターン③の人が入るとこうなる。

「私2年付き合ってた人とこの間別れちゃったんです。好きだったんだけど、私から別れようって言ったの。」
「2年!!それは長い!俺なんて3日で別れたことあるって。短っ!!」
「そりゃまたどうしちゃったの?」
「彼が全然仕事をしないで、就職する気もないみたいで。それでなんだかこの人とずっと一緒にいて大丈夫かな、っていう気持ちになっちゃって。」
「そういう人に限ってドカンと宝くじが当たっちゃったりして。そりゃないわー。」
「彼は何歳ぐらいだったの?」
「私より一回り上で35歳。周りの同年代の人達はちゃんと仕事してるし、私が何度言っても聞いてくれなかったから。」
「年上好きじゃん!そっちか!俺はお母さんより下ならオッケー。ストライクゾーン、お互い広っ!!」
「そうか。まあもしかしたらいいタイミングだったのかもしれないよ。結衣ちゃんまだまだ若いし可愛いから、すぐ次が見つかるって。」
「そうかなぁ。結構好きだったんですけどね。」
「わっかれてもー好きなひとー。なんで俺こんなの知ってんの?古っ!!」
「まあでもこれが終わりっていうわけじゃないよ。これから始まりだよ。」
「そうですよね!前向いていきます!!」
「どんだけ前向きなんだよ!どんだけって、ドンダケーーー!!!!」

常にウケを狙っている感じで、やもすると自分で気づかないうちに他人を貶めて笑っているときもあるから、このタイプも話しづらい。
さらにこのタイプは複数人いるとボケたりツッコんだりするから全く会話にならないことがよくあるので、群れになった場合は出来るだけ距離を置きたい。

パターン④ 「でも」が口癖になっている人

このパターンは恐らく最も自覚症状がないのではないかと思う。
僕の感覚では「でも」って言われたら自分の発言に対して反対意見があるんだろうなって思うから、次に出てくる言葉を慎重に聞くということを無意識にやっているのだけれど、口癖になっちゃってる人は、特に反対とか賛成とかそういう気持ちではないのに「でも」を使う。

この「でも」は営業の商談現場ではそれなりに失礼にあたることがあって、相手の話に対して常に異論を唱えているような印象を与えてしまうことがある。今はもう異動になったが、一時期うちの営業マンにもこの「でも野郎」がいて、普段は優しい営業部長が激怒しているのを何度か見たことがある。

「児玉くん、君は「でも」が口癖がになってるぞ。まずは相手の話をよく聞いて何が言いたいのかをちゃんと理解してから意見を言うべきだよ。反論をしちゃダメだって言ってるわけじゃない。言い方を考えないと相手が不快になっちゃうからね。」
「でも、僕ってそんなに「でも」って言ってますか?あんまり相手を怒らせたことはないと思うんですけど。」
「俺が聞いている限りでは口癖になってるぞ。商談相手は、怒らないまでもあんまりいい気分ではないと思うよ。」
「でも、この間プロモーション企画が通りましたよ。」
「だから、その「でも」がダメだって言ってるんだ。気をつけなさい。」
「でもー」
「テメーなめてんのか!この野郎!!!!」

本人にあんまり自覚症状がないので悪気はないのだが、どう客観的に見ても児玉くんが悪い。

「4丁目に新しいラーメン屋が出来たじゃない?この間チラシが入ってた。友達に聞いたら美味しいらしいから行ってみようよ。」
「でも、どういうラーメンなの?」
「麺が太めで、醤油系の本格ラーメンみたいだよ。」
「でも、麺が太いって固いのかな。固いのはあんまり得意じゃないんだけど。」
「それなら大丈夫。麺は固めとか普通とかそういうリクエストが出来るみたいだよ。」
「でも、3丁目のラーメン屋さんも美味しくない?」
「(イラッ)じゃあ3丁目に行こうか。あそこも美味しいもんね。」
「でも、新しいところにも開拓してみたいよね。」
「(イライラッ)じゃあまずは俺だけで行ってみるよ。美味しくなかったり麺が固かったりしたら行かなきゃいいもんね。」
「でも、私もラーメン食べたいなー。」
「(イライライラッ)じゃあどっちに行きたい?どっちでもいいよ。」
「でもー。私決められないから、決めてくれる?私どっちでもいい。」

これは恥ずかしながらうちの家庭でよく繰り広げられている会話の一例で、うちの家内もこの「でもでも野郎」である。
家内に気づいてもらいたいと思って何度か直したほうがいいんじゃない?という話をしたのだけれど一向に直らない。
直らないなら気づかせようと思って、逆に「でもでも合戦」に持ち込んで会話を不成立にさせようと何度か試みたことがあるが、彼女はそれを喜んで「でもでも合戦」を楽しんだりするので、ここ最近はもう諦めている。

まあこんなことを書いてはみたものの、僕も他の誰かにとっては話しづらい人だったりすることもあるんだろうし、立場とか年齢とか性格とかそういうものによって話しやすかったり話しづらかったりすることもあるので、僕自身はあまり気にはしていない。

話しづらい人とは出来るだけ話さなければいいだけだからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?