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【み】 「ミスをしたくない」VS 「ミスを恐れるな」論に終止符を

どうも最近「できるだけミスをしたくない」っていうマインドの人が多いような気がしてならない。

こんなことを思うのは僕自身がオッサンになったということでもあるのは自覚しているけれど、せっかくのチャンスを逃しちゃうんじゃないかなというおせっかいな気持ちになることもあって、恐らく考え方に相応の相違があるんだと思うから、ちょっと整理してみたいと思う。

前提として、人生の話とかになっちゃうと話がややこしくなるので、あくまで仕事をする上での話にしておきたい。

最初にまず理解しておきたいのは、ミスをしないで一生仕事を続けることは絶対に無理だということだ。人間だから必ずミスをするし、仕事上では本人はミスと思っていなくても、会社やクライアントがミスだといえば、それはミスである。いくら本人が納得しなくても、社会というのはそういうものだ。

僕はもうかれこれ20年以上管理職をやっていたりするし、いまはマレーシアにある子会社の社長という立場にいるので、まずは後者の「ミスを恐れるな」というという立場で「ミスをしたくない」人がどう見えるのかを考察したいと思う。

例えば、売上や予算などを計算しておいてくれという指示を出したときに、単純に計算ミスをしてしまったような場合は、どうして間違えたのかを確認して次から注意すればいいだけの話だし、何度も同じミスを繰り返すようであれば当然怒られるし、これはミスする方が100%悪いから頑張ってもらうしかない。

話が難しくなるのは、もうちょっと仕事が任されるようになったぐらいのタイミングで、「今度の社内プレゼンで新商品の企画提案をするから、独身男性の自炊に関するデータを集めておいてくれないかな」というような仕事を頼むような場合だ。

ミスしたくないマンがこういう仕事に対応しようとすると、「独身 男性 自炊率」とググってそこに出ているデータをコピーペーストして体裁を整えて資料を提出することになる。

ネットに公開されている数値なんだから、合ってても間違っていても自分のせいじゃない。客観的な事実だろうし、完璧な仕事だ。

しかし、資料を出した上司からはこんなことを言われる。

「女性との差にはどんな傾向があるの?」
「ご飯主体?それとも麺類?」
「自炊をする主な理由は健康?それともコスト?」
「パスタ茹でて市販のパスタソースをかけるのは自炊なのかな?」

いやいやいやいやーーー!!そこまで言われてないっすよ!!
(僕は間違えてないっすよーーーー!!僕がミスしたみたいじゃないっすかーーーーーーーーー!!)

上司としては企画の趣旨をもっと深く理解せよということだし、もうちょっと突っ込んだデータや主観的な意見なんかも盛り込まないと社内プレゼンには足りないと感じているだけで、特にミスを指摘しているわけではない。さらにデータの収集というのは、ググっただけで終わらせるものではないということを教えているという可能性もある。
また、独身男性の部下にこういう仕事をやってもらうことで、その年代のリアルなコメントみたいなものも期待しているのかもしれないのだ。

事実ちょっとググるようなことは上司も必ずやってるはずだし、そんなものには30分もかからない。

こんな感じのことは仕事の現場ではとてもよくある構造で、こんなことをミスと感じてストレスになるような必要は全然ない。次の資料作成に向けて上司ともうちょっと内容を詰めるなり、自分の感性でもっと深く調査を続けてなんらかの仮説を引っ張り出せばいいだけの話だ。

こうやって徐々に仕事のやり方だったり、上司や会社が求めていることを覚えていくわけだし、そもそも上司だって会社にとって致命的なミスにつながるような仕事をまだ右も左もわからないような部下に任せるわけがない。

「ミスを恐れるな」という言葉は「間違えてもいいから、思い切り自分の力でやってみろ」という意味合いで使われていることが多い。

ミスをしないと覚えないことというのはとてもたくさんあって、これは日常生活と同じだ。ミスから得られる教訓というのは、二度と同じことをやらないという記憶として、脳に深く刻み込まれる。

しかし、ミスしたくないマンは残念ながらこういうことを理解できずに止まってしまう。

「そこまでのデータを出せとは言われてない」し、「そういうデータが欲しければ最初から言ってくれ」という思考から抜け出すことが出来ないからだ。

冷たい言い方かもしれないけれど、「言われたことだけしか出来ない人材」は「簡単に替えが効く人材」でもあるから、当然のごとく振り分けられていくことになる。
「言われたことだけをやる人材」が必要な仕事や、そういうタイプが好きな上司がいる部門に配置転換されて、適材適所が行われるのである。

これで済めば個人も会社もみんなハッピーに見えるかもしれないけれど、繰り返しになるが人間は絶対にミスをする。

勘違いしてはいけない。大門未知子はドラマの中にしかいないのだ。

ミスの内容が明らかで、さらにミスが許されないような環境でミスをすると、これは100%自分のせいになるので、それなりにキツい。

今度は「言われたことも出来ないのか!」という話になるので、メンタルはやられるし、愚痴まみれの酒の量も増えてしまう。

ミスをされる側も嫌だし、怒られる側も嫌だという誰もハッピーにならない環境になってしまうのである。

「だから失敗を恐れずにどんどんチャレンジして欲しい。そこから得られるものはプライスレスなのだから。」

このあたりがミスを恐れるなと主張する側のスタンスだ。

次にミスをしたくないと思っている人たちから、ミスを恐れるなオジサンがどう見えるのかについて考えてみたい。

そもそも自炊率の男女比とか麺類が主体なのかどうかとかそういうことを知りたいんだったら、最初からそう言ってくれないと調べようがないんですよね。仕事が二度手間になるし。

最初からわかっていればもっと完璧な資料が作れたはずだし、これは僕のせいではないでしょう。僕の資料を見て追加情報が欲しいっていうんだったらそう言ってくれればいいだけで、なんかお前の調べ方が不足してるみたいな感じになるのは違うと思うんです。

自分の年齢での意見を求められたらハッキリとお話しますけど、それも言われたわけじゃないですし。でもそこまで図々しい資料を作ったら、逆に怒られるんじゃないですか?資料なんだし、あんまり主観的になっちゃダメでしょ?

仕事なんだから、依頼するならちゃんとしてくれないと対応できないですよね。それを僕のせいにされても違うと思うんです。
僕たちが出席しない社内プレゼンで「若手の調査がまだ未熟でして・・・」とか言われたらキレますよね。

僕だって精一杯頑張ってるつもりなんです。それでもまだ足りないんだったら、ちゃんと言ってもらわないとわからないですよね。

余計なことをやっちゃって上司に迷惑をかけるのも嫌だし、そんなことでミスしたくないんですよね。


このふたつの立場を整理してみると、ミスしたくないマンは言われたことしかやらないというスタンスを貫いているものの、言われたことをやりたくないと言っている訳ではないから仕事に対するモチベーションが不足しているのではない。
一方、ミスを恐れるなオジサンは言われたこと以外にも挑戦して欲しいと言っているし、それで的はずれなことをやってしまったとしてもそんなことはミスではないからもっと突っ込んでやって欲しいと言っている。

「言われたことをしっかりやり遂げるのが仕事である」という考え方と「それでは仕事の幅が広がらない」という考え方が平行線を辿っているのだろう。どちらも正論であることは間違いない。

しかし繰り返しになるが、なんらかの仕事を続けていく中で、ミスをしないということはあり得ない。
自分がミスではないと主張しても、会社やクライアント、関係者がミスだと思えば、それはミスである。

結論

ミスしたくないマンは仕事上でミスをしないなんてことは不可能だとまず理解すべきでしょう。その上で「できるだけミスをしないように頭を低くして仕事をこなす」のか「ミスを覚悟でチャレンジをする」のかどちらかを選ぶべきです。いつまでもミスを他人や外部環境のせいにしたり自分の能力を過大評価しているとメンタルがやられます。

ミスを恐れないオジサンは「相手がチャレンジしたいのかそうでないのかを見極める」べきです。また何度かチャレンジさせてみて、ミスをさせる価値がある人材なのかどうかも判断しましょう。もちろんミスの責任は自分がとるべきです。自分で責任が取れないオジサンがチャレンジングな人にミスをさせるのは間違いです。またチャレンジングじゃない人に無理をさせてもお互いのためになりません。

「ミスを恐れずにオリジナリティを出せる人」×「部下が失敗しても自分で責任をとれる人」の組み合わせだけが、結果的に大きな成果を生み出すことになるのです。


なんか経営コンサルタントみたいになっちゃったけど、せっかくここまで書いたので、そのまま公開してみます。








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