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わたし個人向けの取締役会

40年間という長期に渡るキャリア構築のために何が必要なのか。そんなことはいつもどこかで意識してた。その意識をしていた理由というのは、人として生まれてきたからには成長と変化を続けること。そうしたほうが成功もするし幸せにもなれる。そのような言葉をどこかで学んできたこともある。ところがこれだけの長期に渡って失敗も不幸も同じように味わってきたともいえる。

決して一人ではここまではこれなかった。それだけはいえよう。意識してきたのは好奇心をもって何でも挑戦すること。やっているうちに得意でないか不得意でないかがわかるようになる。何に向いていて何に向いていないのかもわかるようになる。ひとは得意なところで勝負した方がいい。長年やっていれば得意分野といわれるところができる。不得意なところは人に任せた方がいいだろう。ひとりでできることは限られている。

そうして意識はしていなかったものの振り返るとわたし自身の取締役会のようなものがある。それをこの文章で書いてみます。7人いて、すべて実在している人たちであり、実名で書いています。それは共通して尊敬をしているからであり、胸を張って大学生の皆さんに勧めることができる方たちです。

まず24歳のときに出会ったスイス人の上司、Dr. Matthias Pachlatkoという方がいます。この人とはいまでも交流があり、家族とともにチューリッヒにいます。彼は家族をつれてUBSの東京支店に赴任してきた。そこでわたしを雇ってくれたひとなのです。投資銀行家としてもすぐれていたものの、どこか詩人のようなところがあった。わたしが仕事の相談にいくと的確にアドバイスをくれた。その文言が哲学者か文学者が語るようだった。まさに文人といえるひとだった。

次に投資銀行勤務中に上司として仕えたDr. Adrian Tschoeglというひとがいる。彼はチェコスロバキアからの移民としてアメリカに渡った。カルフォルニア州で育ち、その後MITで経済学博士号を取得。日本銀行にエコノミストとして採用された後にUBSに移ってきた。わたしは彼の下で4年間、経済学を徹底的に学んだ。知識の豊富さは驚くものだった。いまはウォートンで教えている。

10年くらいして経営コンサルティング会社でも同じように優れた上司に出会えた。Jerry Black氏であり、イオンの取締役を経て、いまでは東芝の社外取締役として健在である。厳しいコンサルティング業務の中で印象に残っているのは、疲れ果てて辞めていく、あるいは辞めざるを得ない職員に対してもとても面倒見がいいところであった。わたしはやめざるを得ない状況の時に相談に行った。するとわたしの履歴を添削してくれた。そういうひとは競争の激しいコンサルティング業界では他にいなかった。

しばらくして三菱商事のフロアで働いていたことがある。1年間ではあったものの同じ年齢の上司の下で働くことができた。彼は商社員6名を部下に持って三菱という規律の厳しい組織でとりまとめをした。早稲田大学のボート部に所属していたことがあり、人一倍頑張るタイプの上司だった。部下をやる気にさせること。動機付けをする上司としてすぐれていた。

ここまでの4人はすべてわたしより年上である。ここから3人は年下である。

5人目は三菱の時に後輩として知り合った筒井鉄平である。彼は今シリコンバレーのグリーファンドの責任者だ。彼とは商社を辞めた後に知り合った。彼がシカゴ大学でMBAを取得した後に海外のビジネススクールにいく日本人を応援するという風変りなNPOをつくった。その時に5年間意見をいう立場で関わったのである。彼は人徳のあるひとだった。兄貴分として年下への面倒をみる。やってくれた人に対して丁寧にお礼をする人だった。

6人目は首藤繭子さんという。筒井がつくったNPOにある時突然入ってきて手伝いをしてくれた人だ。スタンフォード大学でMBAを取得後コンサルティング会社に入社した。その後もいくつかキャリアを重ねている。日本の女性がもっと強くキャリアで才能を活かせるように支援をしている。彼女自身も優れた才能を持っており、女性の活躍の場を広げてくれるであろう。

最後はわたしが最も影響を受けた人である。五常・アンド・カンパニーの慎泰俊氏である。20歳も年下ではあるけれど彼から学んだことは多い。読書会を通して実際に一緒に読書をしたのは2年くらいであった。しかしその読書会を通してコツコツと学ぶこと。そのために走ることや書くこと。そういうポジティブな変化をもたらしてくれた。書くことがありすぎてスペースが足りない。しかしながら人として生きていくということはどういうことか。参考にしている。

これら7人がいまでもわたしの取締役会にいる人たちである。取締役会というのは重要な決定をする場であって戦略や戦術をつくり、評価するところといえる。もちろん実際に会っているわけではない。ただ彼らから学んだことはいまでもある。さて大学生の読者にとってこれがどんな参考になるか。

それは成長と変化のためにはこのような自分自身の取締役会をつくるのはいいのではないかというものだ。そしてそのひとたちの生き方を参考にする。また助言をもらうようにする。それにはちょっとした工夫があってもいいだろう。それはどんな構成にするかというもの。

ひとつは役員構成の中に必ず年上と年下のひとをいれることだ。上にあげたうち年上3人、同年1人、年下3人である。たまたまであろうがバランスがとれている。年上の人はメンターとしてそして年下の人はこれからの指導者として指導をしていく人たちである。30歳以上の年下の大学生のひとたちと話をすることがあった。この3人は大学生のお手本として自信を持って推薦できる。

次に構成員の中に必ず外国籍の人をいれることだ。7人のうち、日本人は3人しかいない。それでも十分に機能する。価値観の違う人たちで構成し、異文化を受け入れるようなダイバーシティで作った方がいい。日本人だけの構成にしてしまうと成長と変化のためにはよくない。村社会になってしまうからだ。

最後にもう読者にはお分かりだろう。女性を必ず含めることであろう。女性の意見はとても貴重である。男性には持ちえない視点を提供してくれる。そして男性だけでは偏ってしまう決定事項においても女性の意見をとりいれることでしなやかな内容になっていくものだ。

さて40年が経過してこれからどうするか。7人の構成を変えるつもりはない。これからもこのわたし自身の取締役会という架空の会というものは続くであろう。不思議と彼らとの直接の会話では覚えていることが多い。いつになっても鮮明に思い出せることができるのがとても不思議である。

大学生の皆さんもいずれ参考にしたい人。いつでも助言を仰げるメンターをつくった方がいいであろう。たとえ会うことがなくてもいつまでも成長と変化を続けるために。