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胡耀邦 自己批判に応ぜず 1965-75

 胡耀邦伝 北京聯合出版公司2015年 389-425
 陳利明 胡耀邦 修訂版 人民日報出版社2015  352-392
 満妹 回憶父親胡耀邦 天地図書2016 300-364
   (写真は心光寺の石仏。碑文に元禄九年1696年と読める)

 1965年6月に胡耀邦は養生のため北京にもどり、10月6日に鄧小平から、処分の必要なし、との通告をうけた。1965年11月。胡耀邦が私的に付き合いのある将軍罗瑞卿(ルオ・ルイチン)が毛沢東思想に反対し政治を突出させることに反対したとの林彪の讒言により、軍権を奪われ即時隔離審査となった。1964年には、文芸界学術界の大物に政治的罪名を着せることがはじまっていた。
 1966年5月16日、中共中央は五一六通知を発出したが、その中は、「党、政府、軍の中、そして各種文化界のなかに資産階級を代表する大量の反革命分子がおり、彼らは機会があれば政権を奪おうと機会を狙っている」として注意を呼びかける内容。これは文化大革命発動の合図であった。
 5月下旬。学校に大字報が張り出され、学校の行政指導者教員などが捕まえられ、乱暴されるに至り各学校では正常な教学が困難になった。これに対し、劉少奇、鄧小平らは6月3日、中央政治局常任委員会拡大会議を開き、北京市の各学校に工作組を派遣し文化革命を指導することを決めた。この会議には青年団常任書記の胡克実が出席。会議後、青年団書記緊急会議を開き60余名からなる工作団を組織。16の工作組に編成した。全国各地でも選抜された1800余名が300余りの工作組を編成した。
 ところが6月17日、北京師範大女子附属中学などで工作組は造反派を押しつぶそうとするものだと、反対の声があがる。7月26日には中央政治局拡大会議は、毛沢東に意見だとして、工作組の撤退解散を決定。こうして自宅で療養していた胡耀邦の居ない状況で決定された工作組派遣で、青年団の第一書記として、責任者とされてしまうのである。
 8月5日に毛沢東は「司令部を砲撃せよ・・・私の大字報」と題した記事を書いた。その中で中央から地方に至る一部の指導同志は、反動的資産階級の立場に立っているとして、攻撃を呼びかけている。こうして胡耀邦、胡克実らは攻撃にさらされ、8月15日には、工農出身の臨時書記が組成されたとして、現職書記の職務停職が指示された。団中央そして直属組織は完全に機能不全に陥った。
 紅衛兵たちは、団中央を占拠して、団の書記たちに三反(反党、反社会主義、反毛沢東思想)の罪業の告白を迫った。そのやり方は、不自由な姿勢で頭を下げさせ、暴力を加えるものだったが、胡耀邦は、毛主席にも社会主義にも忠実であるとの主張を返し続けた。この間、胡耀邦夫人の李昭、そして二人の子供たちも、職場や学校で吊るし上げの対象になっている。
    1967年 造反組の関心は相互の武闘に移る。そうした中、1967年4月胡耀邦は自身の母を亡くしている。
 1968年 機関工作や経済生産が全面的にマヒする。毛沢東の指示で解放軍が中央機関に駐留し、胡耀邦についても直接審査するようになる。
 その後、胡耀邦たち書記所の書記たちは中央南院のいくつかの部屋に集められ自由を失う。革命群衆の監視のもと、トイレの掃除をさせられたり、尋問を受けたりしている。
 大変奇妙だが、こうした扱いの中、彼は八届十二中全会(1968年10月)、共産党第九次全国大会(1969年4月)に参加している。この九次大会において、胡耀邦は深刻な自己批判(深刻検査)をすれば、中央委員にとどまれると、多くの人に言われた。がついにそれに応じなかった。その結果、彼は中央委員から外れて五七幹部学校送りになった。
 ここでは農耕労働があり、三反分子の審査もあった。がここでも胡耀邦は、自分は三反ではないと主張を続けた。1971年9月林彪事件が発生。毛沢東は一部の古い同志への態度を改め始めた。周恩来はこの機に乗じて、幹部の解放を進めた。胡耀邦についての審査報告を見た周恩来は、直ちに検査と治療のため胡耀邦を北京に戻す指示を出した。こうして1971年末、彼は北京にもどることができた。
 このあと1975年7月。鄧小平の指示で、中国科学院の再建に派遣されるまでの間、胡耀邦は広範な読書をしている。「毛沢東選集」「マルクスエンゲルス全集」「レーニン全集」など古典を改めて読んだほか、「資治通鑑」「魯迅全集」「中国思想通史」など中国の文献を幅広く渉猟、さらには「田中角栄伝」「日本列島改造論」を読み日本の戦後経験に学ぶ必要を感じたとされる。

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