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沖中恒幸「アメリカの銀行制度」1965

   沖中先生(1895-1981)は金融では大きな足跡を残した人だが、残念ながら私は面識を得る機会はなかった。早稲田を卒業した(1918)したあと、コロンビア大学(1918-1921)そしてベルリン大学(1921-1923)に留学し、帰国後、関西大学、中央大学の教授を歴任。戦後は立正大学、さらに青山学院大学大学院(1960-)で教えている。早稲田出身だが、その米国と欧州にまたがる長期の留学歴や、関西関東の両方の大学で教壇に立たれたことから、見識や知己の範囲が相当に広いことが想像される(写真はコクーンタワー 2020年1月24日)。
 この本は1965年に地銀協の銀行叢書No.133として刊行された、協会会員向けのテキストである。さすがに現在の時点では、歴史的な記録として読むしかないが、アメリカの銀行制度の特徴を論じており参考になる。
 この沖中さんの記述でも、やはり1836年第二合衆国銀行が閉鎖されてから(実際には州法に移ったと理解するが)、1863年に国法銀行制度の法律が通過するまでの(同法の施行期日が問題だと思うけれど)、中間銀行期(中央銀行が存在せず州法しか銀行を規制する法律が事実上ない時期)が大変興味深い。沖中さんは、この時期をその急速な経済の拡大に合っていた側面と、無秩序な混乱の側面とを合わせて記述していて、なかなか記述自体が巧妙でおもしろい。
 そしてもう一つのポイントが、1913年の連邦準備制度の法制化のところ。そのきっかけとして1908年恐慌が理解されているし(単一中央銀行制度が必要だという議論が高まった)、さらに1935年に今度は1929年の大恐慌の反省として、連邦準備制度の中央集権化が強められたことが記述されている。
 アメリカの銀行制度は、(支店を禁止する)ユニットバンクという考え方が強かったことが特徴で、その延長上にたとえ支店を認めても、州を超えた支店展開(州際業務)を認めないという考え方もあった。沖中さんのこの本が出た1965年はまだそうした考え方が根強かった。そのため小規模なユニットバンクがたくさん存在する状態であった。その後、貯蓄金融機関の破綻という経験を経て、主として1980年代に州法のレベルで州内支店や州際業務の許容が進んだ。そして1980年代後半に入ると合併が進展し、銀行数の減少が進むことになったのであった。

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