見出し画像

左派による反論 1958

 張春橋(1917-2005)が『解放』1958年6期(半月刊なので3月下旬刊行分だろうか)に”破除資產階級的法權思想”を書いて毛沢東(1893-1976)に賞賛され、この論文は毛沢東の指示で「人民日報」1958年10月13日付けに転載されたと、金春明は指摘している(金春明《『四人幫』沉浮錄》九州出版社2013年p.11)。張春橋は周知のように四人組の一人となる人物。金は毛沢東、さらには江青に張春橋を紹介したのは柯慶施(1902-1965)だとしている。
 (柯慶施は毛沢東が反反冒進を主張したとき、真っ先にそれに呼応した人物。毛沢東の信頼はおそらく厚かったであろう。)(なお冒頭写真は丸の内線後楽園駅。入線するのは2019年2月に営業運転開始の2000系。正面から見ると円形の窓がなかなか。)
     以下ではこの金の記述により(金春明《『四人幫』沉浮錄》九州出版社2013年p.10-11)、張春橋が1958年に問題にしたことを確認しておきたい。政治的に敗れた側の主張は歴史の中で消えてしまうが、彼ら四人組など左派が何を主張していたかを確認する作業も必要である。
 ここで注目したいのはこの論文の内容である。物質的刺激で生産性を刺激する考え方が、資産階級の思想の名残だと批判され、対置して言われているのは、平等であっても人々は喜んで生産性を高めるはずだという議論である。この論文の時代背景として、1958年という年は大躍進の熱狂が中国社会を覆った年だということも思い起こされる必要はある(たとえば以下を参照。陽雨《『大躍進』運動紀實》東方出版社2014年)。

p.10 毛沢東は1958年北戴河中央政治局会議での講話で、職位や級別を競い、残業代を求め、頭脳労働者に高い賃金、肉体労働者に低い賃金などは、すべて資産階級の思想の名残に過ぎない。労働に従った分配も同じく資産階級の法権によるもので、過去の解放区の供給制(これを配給制と訳すと行き過ぎだろうか?)が肯定されるべきで、建国後の労賃制度は共産主義の発揚に不利だと批判していた。
p.11 柯慶施が毛沢東に紹介した張春橋論文は、まず毛沢東の《井岡山の闘争》中の紅軍が行った供給制についての一節を引用して、共産主義的供給制は中国革命勝利の供給制であり、人々はこのような平等な相互関係を好んでいる、と続けている。そして供給制が生産を刺激しないという人々は、無産階級の平等関係を、資産階級の等級制度に置き替えようとしていると批判した。
  彼は、これらの人々は刺激が必要だとするが「生産の積極性を刺激していない。(しかし)朝廷では名(職位あるいは役割)を争い(争名于朝)(あるいは)市場で利益を争う(争利于市)積極性は、浪費を増やすことを刺激する(ような)恥とすべきことを誤って光栄(榮   辱の逆。日本語の名誉。中国語の光榮。)の積極性に代えるものであり、群衆から離れることを刺激する(ような)恥とすべきことを誤って光栄の積極性に代えるものである。一部のもっとも不確かな分子が、資産階級の右派分子、汚辱腐敗した分子になり下がった(のだ)」と考えた(大変美文調であるこの文章が毛沢東の好みだったのかもしれない 訳者)。
 この張春橋の論文は、毛沢東の高評を得て、人民日報に転載され、張春橋を無産階級の理論家に押し上げる上で大きな財産になった。

#張春橋 #毛沢東   #平等 #丸の内線


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp