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鄧小平(1904-1997)

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#陳雲

Chen Yun 陳雲 1905-1995

陳雲 Chineseposters.net  陳雲は、彼が中国共産党の歴史の実質的に全時期にわたりその政策決定の中心にいたことだけからでも、中国の指導者の中で最も影響力と権力があった一人とみなすことができる。彼は1931年から1987年の間、中央委員会に在籍した。政策決定の中枢(Politburo)に40年以上である。組合組織者としての地下活動のあと、陳は長征(1934-1935)に参加した。モスクワの派遣された(a stint)の後、彼は1937年に延安に戻り、そこで自身

陳雲 文革処理に関する意見 1981/11

這是陳雲同志對林彪,江青兩個反革命集團案件問題處理問題的一次談話。1981年11月19日。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995, p.304 1966年に開始された「文化大革命」は内乱であった。しかし政治闘争であった。特定の歴史条件の下での政治闘争であった。この政治闘争は何人かの陰謀野心家により利用された。この政治闘争では、多くの幹部、党員、非党人が被害を受けた。しかし「文化大革命」は全体として言えば(從全局來説)結局政治闘争であった。それゆえに、何人かの陰謀野心家に対する

陳雲《鳥籠理論》1982/12/02

這是陳雲同志出席第五屆全國人民代表大會第五次會議的上海代表團部分代表座談時講話的要點。《陳雲文選 第三卷 第二版》人民出版社1995年,pp.318-320 鳥籠理論と陳雲について 党の十二大(1982年9月1日から11日 北京で開催 福光注記)は、今後20年不断に経済効益を高める前提のもと、全国の工農業の年総生産価値を全力で頑張って4倍にすると提起した(不変価格表示の国内生産総価値指数で見る。1978年を基準としてそれが4倍になったのは1993年である。19

陳雲「当面の経済工作」1988/10/08

這是陳雲同志同中央負責同志談話的要點。《陳雲文選 第三卷 第二版》人民出版社1995年,pp.365-367 (中央負責同志とは趙紫陽のことだと矢吹さんは指摘している。ー1988年11月には、陳雲(中央顧問委員会主任)が趙紫陽を呼びつけて、「八ケ条の意見」を説いた。矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫2003年p.150. 保守派は経済改革によってもたらされたインフレ、所得格差の拡大が中国社会主義の成果を食いつぶすと危機感をつよめた。同前p.149.) 我々社会主義国家

陳雲 動乱に反対する 1989/05 1990/05

第一部分是陳雲同志在中共中央顧問委員會常務委員會議上的講話要點。第二部分是陳雲同志寫給中顧委各同志一封信的節錄。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年pp.368-369  陳雲に関するファイル  陳雲について(福光論文) 鳥籠理論(福光) (1989年5月26日)  動乱に反対する問題に関して、私は2点意見を述べたい。  第一に現在は、大事な(關鍵)時期(時刻)であり、後退はできない。もし後退すれば、2000万の革命烈士の命と引き換えに得た社会主義の中華人民共和国は、資本

李鋭 改革開放を回顧する 2008

《對改革開放的一種回顧》載《李銳新政見 何時憲政大開張》天地圖書有限公司2009年82-85 2008年8月8日上午,在李銳家,王建勛記錄,整理。 p.82 今年は改革開放三十周年である。(30年前の 訳者補語)当時を回顧すると、自然と鄧小平、陳雲、胡耀邦、胡耀邦に趙紫陽の4人の行為を注目することになる(自然離不開四個人的作爲)、というのも改革開放の成否は、彼らの緊密な連携にかかっていたからである。そのなかのキーパーソンは鄧大人である。  鄧小平は林彪と同様に、歴史的に