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鄧小平(1904-1997)

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#矢吹晋

中国=資本主義論 矢吹晋『鄧小平』1993/2003

矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫版2003年(底本は講談社現代新書1993年)より、その結論部を見る。まず「中国的特色をもつ資本主義」論。中国は端的に資本主義だと指摘している。この中国=資本主義論は鋭い。  他方で民主化については矢吹さんは、台湾や香港にならっていずれ民主化するとしたが、この30年に実際に中国がしたことは、台湾の選挙に干渉し、香港の民主主義を破壊したことだった。矢吹さんはこの民主化の議論ではいかに記述するかの判断を間違えたのではないか?矢吹さん自身指摘しているよ

鄧小平の「留学」 1920-27(20.10-26.1在仏 1926末までモスクワ)

矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫2003年によっている。まず胡耀邦の家は、四川省公安県。重慶の北方100kほどの丘陵地帯の農村にあり(pp.17-18)、それなりの規模の地主だったとしている(pp.18-19)。先祖は明朝の高級武官だったと(pp.19-22)。お父さんは四川省の軍閥に仕えていたとする。その家に長男として生まれ(1904年8月)、私塾で学んだあと、地元の学校が整備されるにしたがって、初級小学、高級小学、中学と学んだ(p.25)。 15歳で中学を終えると、重

陳雲「当面の経済工作」1988/10/08

這是陳雲同志同中央負責同志談話的要點。《陳雲文選 第三卷 第二版》人民出版社1995年,pp.365-367 (中央負責同志とは趙紫陽のことだと矢吹さんは指摘している。ー1988年11月には、陳雲(中央顧問委員会主任)が趙紫陽を呼びつけて、「八ケ条の意見」を説いた。矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫2003年p.150. 保守派は経済改革によってもたらされたインフレ、所得格差の拡大が中国社会主義の成果を食いつぶすと危機感をつよめた。同前p.149.) 我々社会主義国家