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薛暮橋(1904-2005)、孫冶方(1908-1983)

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薛暮橋(1904-2005)そして孫冶方(1908-1983)の関係資料を採録。二人はかなり肌合いが違うが、上海そして北京で接点がある。
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#于光遠

張卓元 薛暮橋回顧録を読む(1) 1996

張卓元 對社會主義客觀規律的成功探索 經濟研究1996年第11期 55-59 p.55 1996年の国慶節。私は逸(はや)る気持ちで(以先睹为快的心情)35万字の薛暮橋回顧(回憶)錄を読みとおした。書中に、一人の社会責任感のとても強い経済学者を見ることができた。彼は、60余年の仕事と研究実践において刻苦して深く研究し(刻苦鑽研)、社会主義の客観経済規律の探索に努力し、相当に成功したと人々に思わせる足跡を残した。  薛暮橋同志は建国以後現在まででわが国でもっとも有名な経済学

吳敬璉 経済学者と中国改革 2004

 以下は吳敬璉《經濟學家,經濟學與中國改革》載《經濟研究》2004年第2期,8-16の前半3分の1を訳出したものである。吳敬璉(1930-)は高齢ながら、改革を進める立場で最近も発言する経済学者であるが、その評価を改革派とすべきか戸惑うところがある。たとえばだが、趙紫陽と李鵬との対立において、李鵬にすり寄ったとされる点。証券取引所について、これを賭博に例える議論をしたとされる点(株価をどう捉えるかの問題も確かにあるが、国営企業改革との関係、企業の資金調達との関係などの論点が落

衛興華《社會主義經濟學》2004

陳東琪主編《1900-2000中國經濟學史綱》中國青年出版社, 2004より第1章社会主義経済学pp.1-22 を抄訳。この章の分担執筆者は中国人民大学の衛興華(1925-2019)である。(写真は成城大学1号館中庭 2019年6月21日) p.1 第一節 社会主義経済学の萌芽時期    一、社会主義経済学の最初の探索  20世紀に入るところで、マルクス主義が中国に伝播し世界で最初の社会主義国家ソ連が建設され、社会主義生産関係を研究対象とする社会主義経済学が生み出され

滿妹「胡耀邦下の経済論争 1979-83」2016

 胡耀邦(フー・ヤオバン 1915-1989)が1987年に総書記を引退する経緯について7項目にわけて、胡耀邦の娘の滿妹がまとめている。そのうち経済に関係する最初の2項目の概略を述べる。なかなか興味深い。滿妹《回憶父親胡耀邦》天地図書有限公司2016年 pp.720-731 1.生産目的をめぐる論争  もともとは宣伝部長として中央指導部の講話を用意する際に生じた問題で(1979年5月から10月)、胡耀邦は社会主義生産の目的が明確でなく、管理体制で高度であることが生産力の発

劉国光「私の回顧と展望」『中国社会科学網』2017年4月12日

 以下の文章は《我的一些回顧與展望-訪著名經濟學者劉國光研究員》載《中國社會科學網》2017年4月12日(www.cssn.cn)の冒頭3分の1を訳出したものである。劉は1923年生まれ。西南連合大学経済系を1949年卒業。その後、清華の研究院に進んだとネット上の資料には出ている。しかし以下の本人の弁によれば大学卒業後、南京の中央研究院社会研究所にただちに入職したことになる。また同じくネット上ではソ連には1951-55年まで留学、副博士号を得たとある。 <中国社会科学法報(