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薛暮橋(1904-2005)、孫冶方(1908-1983)

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薛暮橋(1904-2005)そして孫冶方(1908-1983)の関係資料を採録。二人はかなり肌合いが違うが、上海そして北京で接点がある。
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#胡耀邦

薛暮橋 (1904-2005)

百度百科(全訳) 薛暮桥(シュエ・ムーチアオ 1904年10月25日ー2005年7月22日) 元の名前は雨林、江蘇無錫の人。1927年中国共産党に加入。1938年から1942年まで新四軍で働く。新四軍教導総隊訓練処副処長。通俗著作『政治経済学』教科書を書いたが、それは新四軍幹部の育成(培训)教材となった。中華人民共和国が成立後、政務院財政経済委員会秘書長と私営企業局局長とを兼任したほか、国家統計局局長、国家計画委員会副主任、全国物価委員会主任、国務院経済研究所中心総幹事(

中央党校で中国社会主義経済問題(初校)執筆 1977年

(以下は「薛暮橋回憶錄 第2版」天津人民出版社2006年1月より) p.238 1976年10月6日 中央政治局は果断な措置をとり、「四人組」を粉砕し「文化大革命」という災難を収束させた。しかし1977年から1978年という2年間は、誤った路線の修正は前進せずに徘徊し、重度の阻害にであった。当時党の中央主席を担った華国鋒同志は四人組を粉砕したことでは重要な作用をした。しかし指導思想は引き続き、左であった。彼は「すべて論(凡是論)」を堅持し(すなわち、すべては毛主席が決定した

滿妹「胡耀邦下の経済論争 1979-83」2016

 胡耀邦(フー・ヤオバン 1915-1989)が1987年に総書記を引退する経緯について7項目にわけて、胡耀邦の娘の滿妹がまとめている。そのうち経済に関係する最初の2項目の概略を述べる。なかなか興味深い。滿妹《回憶父親胡耀邦》天地図書有限公司2016年 pp.720-731 1.生産目的をめぐる論争  もともとは宣伝部長として中央指導部の講話を用意する際に生じた問題で(1979年5月から10月)、胡耀邦は社会主義生産の目的が明確でなく、管理体制で高度であることが生産力の発