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マニュアル依存は考えない人を産む

ファーストフードで注文する。「チーズバーガー30個お願いします。」 店員さんが尋ねる。「こちらでお召し上がりですか?」「んなわけないでしょ。チーズバーガー30個を1人で食べれません!(俺はギャル曽根か!?)持ち帰りです。」(聞かな分からへんのかい。)

マニュアル通りの接客で困ったことはないだろうか。眼科でのことなので接客というか診察のときに参ったことがある。眼の痛みでたまらなくなり眼科に駆け込んだ。その行きつけの眼科は先生の診察前に看護師さんが眼圧を測る手順となっていた。そのルーチンワークは通常であれば理に適ったものだとは思う。でもそのときは眼の痛みが激しく外観からも眼が充血していたので眼圧を測る機械で眼に風圧をかけること自体が拷問だった。しかもそのとき眼圧の数値が出ないと言って何度も測ろうとする。通常3回測って平均値を出すのだが測った数値がおかしいのか数値のばらつきが大きいのかさらに3回、もう3回、と終わる気配がない。とうとう悲鳴を上げた。眼の充血はひどくなり痛みのあまり涙が溢れているのにようやく気づいた看護師さんはようやく事態を飲み込めた様で眼圧測定を中断してくれた。やっとのこと拷問が終わった。真面目そうな看護師さんだった。決まり事はきちんとやり通さないといけないと固く信じている。(様に自分には思えた。)仕方がないが始末に終えない。決まり事やマニュアルは何のためにあるのか。それは仕事を遂行する上での必要な手順であり大切なことが詰まってはいるがそれも状況によりけりだ。眼の前で起きていることに直に接して判断して欲しい、対応して欲しいと切実に願うときがある。最大公約数のマニュアルがいつも万能とは限らない。


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