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夕方5時のサイレン

今住んでいる住宅地では夕方5時にサイレンが鳴る。おそらく自治体が鳴らしている。子供がいないのでよく分かっていないが小学生あたりを対象にサイレンを鳴らしてもうおうちに帰りなさいと促しているのだと思っている。


 関西に住んでいたときにはその様なある定刻を知らせるサイレンはなかったと思う。小学校入学から3年半ほど茨城県の霞ヶ浦のほとりに住んでいたことがある。父の仕事の関係でその前後は関西に住んだ。関西から茨城に移り住みまた関西に戻った。その茨城時代は今と同じ様に夕方5時にサイレンが鳴った。小学校の生徒だったのでそのサイレンはその意図通り遊んでいた友達と別れ家に帰る合図だった。
小学校時代はごく近所の年齢の近い顔見知りは除き大抵クラスメートと遊ぶ。たとえ同年代といえども違うクラスや学年が違うと一緒に遊ぶには躊躇してしまうしハードルが高いのがこの年代だ。大抵は数人で遊んだ。3人の時もあればもっと大人数の時もあった。あるときどういうきっかけかは覚えていないが普段はあまり話をしたことがないクラスメートと2人で遊んでいた。そのクラスメートの家の近くだったのか、どちらかというと不案内な公園でブランコに乗りながら話をしていた。個人的に話すのは初めてだった。相手が普段無口だったこともある。大勢で遊んでいたらそんなことにはならなかったかも知れないが2人だとよほど一方的に喋らない限り相手の話も聞くことになる。そのクラスメートの家はお母さんしかいない母子家庭だった。しかもそのお母さんは目が見えないという。学期末の通信簿も読めないので適当に嘘の評価を説明すると言った。つまり誤魔化すのだと言う。少々ビックリした。過干渉な我が家では考えられないことだったからだ。そこには明らかに自分の知らない家庭があった。自分の知らない世界だった。と同時にその家庭も全く自分と同じ8歳か9歳の小学生がいた。はっきり言えば貧しい家庭だったのだろう。いつも同じ服を着ていた。クラスの健康診断で聴力検査で引っかかりクラス皆の前で診察したお医者さんから耳垢を取って貰っていたこともある。そんななんやかやが一緒に話す間にああそういうことかと自分の頭の中で一つの線で結びつつあった。そんなときサイレンが鳴った。もう家に帰らなければならない。そう言うとそのクラスメートはあれは別のサイレンだからまだ帰らなくていいよ、と言う。もうしばらくしたらまたサイレンが鳴るから。えっそうなの。じゃまだ遊ぶ?うんまだ時間あるよ。そんなやりとりをした。今思えば自分はうすうすその友達の嘘に気づいていた。けれど結局その嘘に乗っかった。もっと話したかったというのもある。しかし何よりそんな嘘をついてまで一緒に話をしたいというクラスメートの気持ちが嬉しかったのである。その後どんな話をしたのか。鳴らないサイレンを待ちきれずにどういうきっかけで帰宅の途についたのか。今では覚えていない。結局家に遅く着いたものの幸い雷が落ちることはなかった。無事叱られずに済んだ。

  他愛もない経験、記憶なのだがサイレンを聞くとふとあれは5時のサイレンじゃないよと伏し目がちに話すクラスメートの横顔を思い出す。初めてでかつ最後の2人での公園でのひととき。もっと一緒に遊ぼ!と誘ってくれる気持ちがただただ嬉しくてその誘いに応じたのが懐かしい。と同時に同じ校舎に学び同じ授業を受けている同じ歳のクラスメートでさえ家に帰るとそれぞれの違う世界が待っていることを知った初めての機会でもあった。


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