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二宮金次郎とポートボール

小学校入学から4年生の途中までの3年半を茨城県の霞ヶ浦のほとりの町で過ごした。歴史ある田舎の学校だった。在学中に開校100周年を迎えた。各年の卒業生の人数を記した冊子を見ると昭和19年と20年だけ突出して多い。戦時中の集団疎開の影響だと容易に想像できた。校舎もその当時は古かった。校庭の中に二宮金次郎の銅像があった。薪木を背にして本を読みならが歩く姿。当時この学校に限らず結構この二宮金次郎の銅像は日本の小学校にはあったと思う。


朝学校の授業が始まる前には校庭では大抵ドッジボールをしていた。だいたいクラス対抗だったと思う。ときには学年対抗もあったかも知れない。ただ体育の授業でドッジボールはあまりした記憶がない。ドッジボールに似たポートボールの方が記憶にある。中学以降授業で取り上げられた競技ではバスケットボールに似ている。違うのはポートボールはいつも屋外でやっていたこと。ゴールには1人プレイヤーがいて味方のボールを受けてはじめて点になる。そのゴールの前にディフェンスのガードをする敵のプレイヤーがいてゴールを阻止する役目だった。早い話バスケットボールの固定されたリングの網が人に変わった様な競技だった。ポートボールは転校した学校の体育の授業でもした記憶があるので結構全国的に広まっていたのかも知れない。ただし、中学・高校ではやったこともなければそもそも話題となったこともない。小学校を卒業すると同時に消えて無くなったかの様に思えた。何故ポートボールが記憶の片隅にあるのか。多分体育の授業で初めて先生に褒められたことが大きい。4年生のときだった。ボールの位置に対してポジショニングが良いとクラスの皆の前で褒めて貰えた。初めてのことだった。そして最後のことでもあった。それ以降2度と体育の授業で誉められることはなかった。その最初で最後の出来事のきっかけとなった競技が野球やサッカーなどの馴染みのあるものでなくポートボールというのが何と表現すれば良いのだろうか。何だか自分らしいというか、とにかく思い出すとクスッと思い出し笑いしてしまう。


小学校時代という今でははるか昔のことを時折思い出すとき。卒業してから2度とお目にかかれない風景というのは二宮金次郎の銅像と校庭で授業として取り入れられた普段は決してしなかったポートボール。この二つを思い出す。


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