「助けて」は早めのタイミングで


苦しいとき悲しいとき辛いとき人は皆誰かに助けを求めようとする。助けを求めるにはそれだけのエネルギーが必要だ。
他人にお願いする。助けてもらう。助けるのは他人で自分は助けてもらう方なのだから助けを待つだけと考えるかも知れない。がしかし助けを求めるのにも意外とエネルギーが要るのである。
一つは自分の心の中の葛藤があるだろう。他人に助けてもらう、助けが必要であることを宣言することは自分の弱さを認めることでもある。これまで自分独りで対処してきたと自負する人であれば耐え難い屈辱と思えるかも知れない。そんな場合意識しているかしていないかに関係なく他人の前で着ていた鎧を脱ぐ心の準備が必要になってくる。ただでさえ辛く苦しい状況においてその準備は大変な作業となってくる。相当のエネルギーが必要になってくる。
もう一つは助けを求めた時の周りの反応をどの様に受け止めるのかという問題だ。手を差し伸べてくる周囲に素直に従えるのか、期待通りの助けが得られるのか、不安がつきまとう。ときには恐怖にすらなりかねない。自他との関係が大きな壁となってくる。この壁を乗り越えないと他人からの助けは得られない。助けを借りることは出来ない。
自分の中のことにしろ自他との関係にしろどちらにしても助けを求めることにはそれなりのエネルギーが必要だ。

日本では年間3万人程度の自殺者がいると聞く。自殺する理由はさまざまだろう。自分で勝手に想像するのだが、人はまだまだ大丈夫。まだ自分は余力がある。そう思っているのではないだろうか。気づいたときにはそうではなくもはや独力で何とかするエネルギーはない。誰かに頼らないとと思う。しかし助けを求めるエネルギーすら残っていない。声にならない他人に届かない叫びを残しながら最期の悲劇を生む結果になってしまうのではないか。自殺という極端な例はともかく人は無意識のうちに助けを求めるタイミングを計っていてまだなんとかなる。もうちょっと独りで頑張ろう、と思うのではないか。気付いたときにはもうその余力はない。そんなケースは特に頑張り屋さんに多い気がする。

人に助けを求めるにはエネルギーが必要である。そのことをしっかり心に留めて早めに助けを求める。そんな心構えが必要だと思う。

かつて共に仕事した尊敬する上司の訃報に接して切に思う。切に願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?