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自己紹介

はじめまして。

私は真宗大谷派浄誓寺の副住職の愛知洸(あいちひろし)と申します。

このたび、noteでブログを寄稿するにあたり私が何者なのか、第一弾を自己紹介とさせていただきます。

【愛知洸はなにもの?】


・お寺と幼稚園を運営している家族の三男として生まれる
・学生時代はへそ曲がり気質から、生徒会や部活、不良をやったりやらなかったり、これといって没頭するものもなく過ごす
・お寺に生まれたこともあり、大学卒業後は真宗大谷派宗務所(本山の職員)へ勤める。
・行政的な需無処理業務が主な年功序列組織の中で娑婆世界とのギャップを感じ、一般企業(マーケティング支援業務のベンチャー企業)へ転職し、改めて社会を学ぶ
・娑婆世界にいる中でお寺を俯瞰して見ることができ、可能性と変革の必要性を感じ生家のお寺と幼稚園の手伝いをする
・後継ぎ不在の犬山市の浄誓寺と学校法人光明学園(光明幼稚園、光明第二幼稚園)へ移籍し、後継として現在に至る

改めて振り返ると、これといって一つのことに一気通貫してやってきたことはなく、視野広く浅く関連することや新しいことに関心を持ち取り組んでいました。
悪く言えば、注意散漫、飽き性
よく言えば、視野広い実践者

みなさんはどう受け止めてもらえますか?

【何を考えているか(発信していきたいこと)】

  • 2500年続く普遍的真理である仏教が、今のように形骸化していくのか、もしくは社会実装されるか。

  • 現状の寺院運営は通夜葬儀、法事等の儀式と納骨事業が中心の活動となっており、儀式に対する対価として布施(金銭)と納骨事業による経済圏となっている。現状で今後も運営が可能なのか、衰退してしまうのか、もしくは新たなお寺の経済圏を見出していくことができるのか。

  • 過去遡ると、お寺地域住民や檀信徒のステークホルダーによる地域インフラとして自律分に運営されていた。しかし現在では、住職による中央集権的な組織で住職の思いややりたいことが中心となっている。回帰すべきか、今の経済圏を維持していくべきか。

  • 今、web3やメタバースなど、インターネットが社会実装されてから、テクノロジーの分野は凄まじい勢いで変化している中、お寺業界は従来の活動にテクノロジーを活用できていない。お寺×web3、お寺×メタバースなど、新たな可能性を見出すことはできないか。

新たに就任した愛知県犬山市の浄誓寺副住職として、お寺の可能性を見出すため、新たな活動を実践していきレポートしていきたいと思います。
これからの日本経済は明らかに衰退していきます。産官学に共通していえることですが、それは高度経済成長を経て、既得権益を得た人たちの都合が社会概念として根付いてしまい、またそこにぶら下がり安泰してしまった人たちが、挑戦しようとする人の出る杭に対し自分たちのコンフォートゾーンを侵されないよう仕組み化してきたことが招いたと感じています。
そして、そこに慣れ、既得権益者の元で言われたことをこなし、現状維持が美徳となり、正解であると錯覚している私たちによって日本の成長は止まっています。むしろ後退しています。

お寺の業界でも、同じことが言えます。
かつて鎌倉仏教時代に浄土真宗では親鸞聖人が僧侶として王道である比叡山で僧侶として修行していたが、念仏の教えてを説いていた法然上人の弟子となるため比叡山を降り、一般民衆へ教えを説いていた。その動きを既成寺院の僧侶は面白く思わなく、朝廷を動かして法然上人と親鸞聖人を含むその弟子に対し懲罰を与えた。
また室町時代、中興の祖と言われる蓮如上人がどのようにしたら教えが伝わるのか考え、教義を伝わりやすい手紙のカタチで説いた『御文』や、勤行のカタチを見直して当時画期的であった印刷技術を駆使して朝夕の正信偈を唱えるようにし、一般の民衆に受け入れられ、浄土真宗が広がったと言われている。蓮如上人も生涯にかけ興隆させたと同時に対立勢力との争いも絶えなかった。
この宗派の過去の経緯でも、その時代における圧力を受けながら、その時代の技術で大きく変革を行なってきた。

今、失われた30年と言われた平成の時代を経て、日本が超少子高齢化と人口減少の将来の衰退しか見えない中でお寺がどのような活動をしていくべきか、正解はないと思いますが、私の学びや実践を踏まえて綴っていきます。

【以下、ご留意ください】

  • 真宗大谷派の僧侶として、他宗派に関しては無知なことをご理解ください。

  • 世間知らずな身ゆえ、失言や誤った言動があった場合は、ご指摘いただけますと幸いです。

  • 多少、過激な言い回しや稚拙な表現があってもお許しください。(加減や語彙力が苦手です)


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