宗教の事件 84 橋本治「宗教なんかこわくない!」

地下鉄サリン事件に限定して、「オウムはなぜ警察と戦うのか?」という疑問がある。オウム真理教の教祖が「最終戦争(ハルマゲドン)」を言って、そして地下鉄サリン事件を起こったということになると、当然この無差別殺人事件は、「オウム自作自演のハルマゲドンの一環か?」ということになってしまうが、この無差別殺人は、“霞ヶ関”という限定がついている以上、そんなに“無差別”ではないのだ。だから、「なんでこんなことをするのだろう?」という疑問が生まれてもいい。「どうしてオウム真理教はことさらに警察と一戦を構えたいのか?」と。もう少し広げて、「どうしてオウムは、警察と“被害者の会”を攻撃のターゲットにしたがるのか?」と。 オウムの攻撃は、決して“無差別”ではないと思う。松本サリン事件にだって、“係争中のオウム真理関連の訴訟を担当する裁判官に対する脅し”という要素が隠れている。最終戦争を叫ぶオウム真理教は、今のところ「全世界の最終戦争であるような無差別殺人」をやってはいないのだと思う。新宿の地下鉄トイレに仕掛けられた青酸ガス発生装置が簡単に発見されてしまったのは、それが所詮“簡単に発見される程度のもの”で、彼等には、「自分達の世界観に見合った“明確な目標”がなければ行動出来ない」という、へんな特性があるんじゃないかとも思える。だからなんなのかというと、つまり、「オウム真理教は“警察”と“信者の裏切り代表されるような敵対行為”しか、頭にないんじゃないのか?」ということである。 つまり、オウム真理教の世界観はいたってシンプルで、それは、「“自分達”と、“警察”と“裏切り者の敵対者”と、あとは霧のようなぼんやりした“現実”だけなんじゃないのか、ということである。孤独な少年の把握できる現実が、「“自分”と“ゲームセンターのお兄さん”と、“昔いじめたヤなやつ”と“自分を捕まえようとする警察”」の四つの要素からしか出来上がっていないのと同じように・・・・・・。 私は、そう思うからこそ、オウム真理教事件を“子供のしでかした犯罪”だと思うのだ。子供のすることは、細部のある部分だけが周到で、残りの部分は“なにを考えているのか分からないくらいアイマイでぼんやりしている”ものだ。それは、子供の現実認識が、そういうものだからだ。その人の行為はその人の世界観が曖昧なら、その人のしでかした行為も、それを反映して、十分にズサンで曖昧なものになるだろう。

 ●オウム真理教の信者は、現実の麻原彰晃を本当に必要としているのだろうか。 

オウム真理教で驚嘆するのは、これが、“今時の若いやつを受け入れるのにはとてもよく出来た組織”だというところである。とてもよく出来ている。 まず第一に、若い人間をいつも動かしている。修行があって“ワーク”があって、それをこなさなきゃ眠れない。それをこなす裁量は、信者個人にゆだねられている。つまり、いつも「なにしようかな・・・・・・?なにしたらいいのかな・・・・・・?」とぼんやりしている人間に対して、退屈する暇を与えずに、しかもそれが“当人の自主性を尊重する”という名目で成り立っていることである。“自主性が重んじられている”というところが第二の美点である。だから、そこにいる当事者たちは、自分がそこにいることに疑問を感じないですむ。 きっと、若い人にとっては天国だろう。なにしろ、「なんにもすることがない・・・・・・」と思ってぼんやりして困っている若い人間は、ゴマンといるのだから。これは、「やりがいがあって自主性を尊重してくれる理想の会社」である。日本の会社経営者はこれを見て、「若い人間にも働く気は十分にある。それが出てこないのは経営者の人徳が足りないからである」ぐらいのことは、考えた方がいいだろう。おまけにこの会社は、就労中に“ウォークマン”をつけてもいいんだから。 「あんなものをつけて年柄年中頭に電流なんか流してて気持悪くないんだろうか?」と、オウムのヘッドギアを見て言う人もいる。ウォークマンでギンギンのハードロックを流して難聴になっても平気なやつだっているんだから、別にどうってことはないんだろう。 それにしても、ソニーのウォークマンは画期的な発明だった。マンガ家の東海林さだお氏は、かつて「おばさんは自分のいるところをすべて自分の家のお茶の間に変えてしまう」という名言を吐いたが、このヘッドフォンステレオは、「若いやつのいるところをすべて“自分の部屋の中”という密室に変えてしまう」ということを可能にした。それをしていれば、もう誰にも邪魔されることなく“自分の世界の中”だ。世の中なんてこわくない。たとえ失恋をしても、これをつけて美しいラブソングを流して、大都会の高層ビル街やウォーターフロントにたたずんでしまえば、たちまちにして、自分は美しいハリウッド映画のヒロインにもなれる。現代社会は“劇場社会”なのかもしれないが、劇場社会に大衆社会がかぶさるととんでもないことになる。劇場の舞台の上は、シロートというダイコン役者だらけだからだ。 

 (つづく) 

 橋本治 「宗教なんかこわくない!」 

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