フランクル「夜と霧」 今度は自分がその力と自由を

収容所生活の最後の頃の極度の心理的緊張、このいわば神経戦から心の平和へと戻る道は決して障害のない道ではなかった。そしてもし人が収容所から解放された囚人は何らかの心理的保護を必要としないと考えたらそれは誤りである。むしろまず第一に次のことを考えねばならないのである。すなわち収容所におけるような極度の心理圧迫の下にいた人間は解放の後に、しかも突然の圧迫除去の故に、ある心理的な危険に脅かされているのである。この危険(精神衛生の意味における)はいわば心理的なケーソン病〈潜函病)にあたるものなのである。ケーソン労働者が(異常な高い気圧の下にある)潜函を急に出るならば健康を脅かされるように、心理的な圧迫を急に除かれた人間もある場合には彼の心理的道徳的健康を損なわれることもあり得るのである。

特にいくらか原始的な性質の人間においてはこの解放後の時期に、彼らが以前としてその倫理的態度において権力と暴力とのカテゴリーに固執しているのが認められることがあった。そして彼等が解放された者として、今度は自分がその力と自由を恣意的に抑制なく利用できる人間だと思いこむことがあった。彼等は権力や暴力、恣意、不正の客体からその主体となったのである。さらに彼らはまた彼等が経験したことになお固執しているのである。このことはしばしばとるにたらない些細なことの中に現れるのであった。たとえば、一人の仲間と私とは、われわれが少し前に解放された収容所に向って、野原を横切って行った。すると突然われわれの前に麦の芽の出たばかりの畑があった。無意識的に私はそれを避けた。しかし彼は私の腕を捉え、自分と一緒にその真中を突切った。私は口ごもりながら若い芽を踏みにじるべきではないと彼に言った。すると彼は気を悪くした。彼の目からは怒りのまなざしが燃え上った。そして私にどなりつけた。「何を言うのだ!われわれの奪われたものは僅かなものだったのか?他人はともかく・・・・・・俺の妻も子供もガスで殺されたのだ!それなのにお前は俺がほんの少し麦の芽を踏みつけるのを禁ずるのか!・・・・・・」何人も不正をする権利はないということ、たとえ不正に苦しんだものでも不正をする権利はないということ、かかる平凡な真理をこういう人間に再発見させるには長い時間がかかったのである。そしてまたわれわれはこの人間をこの心理へ立ち帰らせるよう努めねばならないのである。なぜならばこの真理の取り違えは、ある未知の百姓が幾粒かの穀物を失うのよりは遥かに悪い結果になりかねないからである。なぜならば私はシャツの袖をまくり上げ、私の鼻先にむきだしの右手をつき出して「もし俺が家に帰ったその日に、この手が血で染まらないならば俺の手を切り落としてもいいぞ」と叫んだ収容所の一人の囚人を思い出すのである。そして私はこう言った男は元来少しも悪い男ではなくて、収容所でもその後においても常に最もよい仲間であったことを強調したいと思う。


ヴィクトール・エミール・フランクル 「夜と霧」

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