いっそのこと理不尽に弾圧されるほうがいいのではないかと

辺見庸 まったく仮定の話ですけど、『ゆきゆきて、神軍』が上映禁止まで追いこまれるとか、そのほうが良かったのではないかと思うことありませんか。

原一男 時々思いますね。

辺見 いまというのは、すべてのテーマは成立し得るけど、すべてのテーマが成立し得ないという状況ですよね。いっそのこと理不尽に弾圧されるほうがいいのではないかと。だって、非常に民主的で、一見陽気で、自由で、すべてが許された感じで、何の不満があるんだい、という日本社会じゃないですか。本当は窒息してるけれども。

原 『ゆきゆきて、神軍』のできた直後にこう忠告されたんです。「おそらく右翼が総攻撃してくるだろう、原さんも電車に乗るときには気をつけな、なるべくホームの端から離れて立ちな」と。で、ユーロスペースで上映が始まったときに、オーナーはスクリーンをもう一つ用意した。右翼の上映妨害の仕方としては、スクリーンに卵かなんかをぶつけるらしいと、だからそのためにスペアを用意しておいたんですよ。封切当日、関係者みんなが身構えて終結するんだけど、何もない。それどころか地方の上映が始まって地元右翼が映画を見に来てて、終わるのを主催者がおっかなびっくり待ってると、右翼の人がでてきてその場で「奥崎さんの本を三冊買って、奥崎さんの気持ちもよくわかるわい」と言って帰ったとか。全然違うんですよ、反応が。
それでいて昭和天皇が亡くなった前後に銀座の並木座で上映するという話があった時、並木座に丸の内警察から電話があって、「いまのこの時期に上映すると、何があっても知りませんよ」と。右翼じゃなくて、警察が脅しをかけてくる。この話がすべてのシチュエーションなんですね。

辺見 だからぶんなぐるにもなぐりようがない。そうなると自己破壊的にてめえのことぶんなぐるしかないのかな。

原 上映禁止の話じゃないですが、映画の場合、お金が莫大にかかるので、正直言ってまるきり売れないというのは困るんですよね。かといって全然パニックが起きないようでも困るしね。

辺見 曲者なのは、いまは毒が盛ってないと観客が見向きもしないんですね。それでいて盛りすぎるとバッサリやられる。困ったもので、消費者や読者、視聴者は手に負えないですよ。消費構造というのはきわめて複雑でね、おちゃらかにつき合っているようでいて、あいつ調子に乗りやがってとなるんですよ。観客、読者のなかには凄い手練、熟達の人がいますよ。それから読み手の方がむしろはるかに狂気をはらんでいると感じますね。たとえば、書店なんか放火してみんな焼いてしまいたいと手紙に書いてくるような、凄いおばさんとかがいる。作品というのは、そういう病理にも依拠しているんだと思うんですよ。あの人たちの健全さ、読者としてのちゃんとした生活につき合ってるわけじゃない。みんな病気で、小説読んでいても、一所懸命、自分と同じ病理を作品の中に探すわけですよ。それは毒性でもあると思うんですよ。原さんの映画見て元気になる人って、みんなやっぱり奥崎に自分を重ねて、俺よりもっとひでえやつがいるなという安心感で元気になるんですよ。僕も最初そうだったな。
新聞やってしんどいのは、読者というのは健全で、円満な家庭の朝のお茶の間で心美しき人々が新聞読んでいるというのを、50年間変わらず前提にしてつくっていることですね。


「屈せざる者たち」 辺見庸・原一男

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