「犯罪季評」フツーよりもっと

1985年の出来事

●なし崩し的自殺

・・・・・・今季はやはり「三浦事件」ですか。

別役 うん。でもその前に、姉妹二人餓死したでしょう。(8月20日、東京・足立区の都営団地に住む、無職北川しげ美さん、和子さんの二人ぐらし。一年前に船会社を退職、料金未払いでガス、水道、電気も止められていた。死後かなりたって発見)。あれが三浦さんの対極にあるね、現象として。つまり、三浦さんのようでなければ生きていけない人と、三浦さんになれないから死ななければならないタイプというように、分けて考えていいんじゃないか。

朝倉 なるほど。

別役  今は、ただ居れば、日常的なことをこなしていれば生きていけるという世の中じゃなくてね。とくに東京なんかに住んでると、常にちょっとした発狂状態で、攻撃してなければ、加害者として居続けなければ、圧倒的に被害者になってしまう。普段ヒステリックにでしゃばってて、自分を鼓舞しながら、一瞬ウッと脱落すると、とめどなく、餓死するまでズルーッと後退してしまうという感じがあるわけです。そういうことに対して、ぼくら中高年というのは、もう休みたいとか、一息つきたいとか思ってるわけです。あの二人もそういうことを感じてたと思うんですよ。あの餓死ってのがね・・・・・・。

朝倉 ぼくも、餓死という新聞見出しがあって、年齢を見た時にビックリしました。こう言っちゃああれだけど、70とか80のおばあさんが身寄りもなくってのは、まああるわけです。しかし姉が26歳で妹が23歳だってあたり、これは何だって思いましたねえ。拒食症(注1)に近いんじゃないか。自殺の意志を明確にして死んだというんじゃないんです、動機もはっきりしない。なし崩し的自殺。サラ金に負われてたっていわれるけど、100万ぐらいなんです。

別役 それも自分たちが借りたんじゃない。親父さんかなにかの借金でしょう?

朝倉 ええ。そして最初は、着るものからなし崩し的に放棄しているんです。女の子だったら、着るものが対社会的に自分をアピールする最初のアイテムですよね。それを選択せず、スーパーから買ってきて使い捨てにしてる。部屋の中に下着が何百枚も放ってあったらしい。着ることを放棄した段階では、でもまだインスタントラーメンか何か食ってるんです。ガスも水道も止められてるから、新聞紙燃やしてお湯を沸かしてね。そういう放棄の仕方が、自分というものが形成されてきた順序を逆にね、緩慢にたどっている感じなんです。生を退行してるわけです。別役さんが言われたように、社会的な与件というのが、演技を要求したり、よけいなことも言わなくちゃいけないとか、それがあの子たちにとって極限まで達していたんじゃないか。

別役 都はるみが、芸能生活に疲れたからフツーのおばさんになるっていうの、これはわかる。よくわかる。でもフツーの人たちが、フツーの人たちに疲れたからやーめたと。フツーよりもっとフツーになりましょうというときにね、餓死ってその明らかにあると思います。

朝倉 死に向う積極的な自殺とはちょっと違う。

別役 おりたんだね。

朝倉 ただぼくらの世代だと、ああいう餓死っての考えられないですね。やっぱり盗んででも食っちゃうと思う。できないよ、それ。

別役 世代だね。

朝倉 逆に考えると、いま、食べるものがいっぱいある。すると食べるってことに対する現実感もなくなってるような気がする。食べることの意味がものすごく希薄になって、空腹感すら定かでないという・・・・・・。

別役 美食家たち(注2)が、ここがおいしい、あれがおいしいと言い始めてるのも、現象としてはね、食うことに対する欲望が欠落しつつある、そのことに対して鼓舞しはじめてるとも言える。ぼくがいちおう子どもがいて女房もいるから、家に帰ったら何か食うってことになるけど、一人で生活してたらねえ、どう食っていいのかわからない。

朝倉 それはかなり一般化してるんじゃないですか。

別役 アフリカとはまったく違う先進国文明国の餓死が続発する可能性はありますよ。拒食症もその一種かもしれない。


(つづく)


別役実・朝倉喬司 「犯罪季評」


注1 「拒食少女たちのやせ願望は“やせて弱々しいのに、けなげに頑張っている”というイメージへの固執を意味しています。(略)その私は心ならずも健康を害してるのだから、抱え上げて保護してほしいというのが、彼女たちのやせから発信されているメッセージです。ところで現代の女性たちからは『女性の自立と自己主張』という、もうひとつの、もっと堂々としたメッセージが発信されています。(略)堂々たる自立の宣言が声高になれはなるほど、その陰に当たる依存希求の表現は、病気の形をとって巨大化してくる。事実1980年代の拒食、過食少女たちは、1970年代にウーマン・リブの波をかぶった世代の女性たちを母親に持った娘たちです」(斉藤学『家族依存症』より)

注2 80年代に入って、それまで伸び悩みの状態にあった流通業界において、「食」の分野だけが順調、部分的には急激に伸びはじめ、たとえば西部デパート池袋店は食品売り場を大拡張、売り場面積9200平方メートルの「食品館」をオープンさせた。オープンと同時に同デパートでは「グルメ・キット」なる高級料理材料のパック詰めを発売、いわゆるグルメ・ブームの発端はこのあたりと覚しく、以後、食べあるきを基調とした“グルメもの”はテレビや雑誌の定番になり、マンガ「美味しんぼ」のベストセラー化等、ブームは止まるところを知らず、今や“日常化”した趣である。

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