宮本常一「忘れられた日本人」 若いときは

後藤 ほんとにかわりましたのう。夜ばいもこの頃はうわさもきかん。はぁ、わしら若いときはええ娘があるときいたらどこまでもいきましたのう。美濃の恵那郡の方まで行きましたで・・・・・・。さぁ、三、四里はありましょう。夕はんをすまして山坂こえて行きますのじゃ、ほんとに御苦労なことで・・・・・・。

わしら若い時ゃ、恵那までかようた 恵那の河原で夜があけた

という歌がありますが、ほんとであります。女の家へしのびこうで、まごまごしていると途中で夜があけたもんです。

すきな娘があったかって?そりゃすきな娘がなきゃぁ通わないが、なぁに近所の娘とあそぶだけではつまらんので・・・・・・。無鉄砲なことがしてみたいので。

金田茂 今の言葉でいうとスリルというものがないと、昔でもおもしろうなかった。はぁ、女と仲ようなるのは何でもない事で、通りあわせて娘に声をかけて、冗談の二つ三つも言うて、相手がうけ答えをすれば気のある証拠で、夜になれば押かけていけばよい。こばむもんではありません。親のやかましい家ならこっそりはいればよい。親はたいてい納戸へねています。若い者は台所かデイへねている。仕事はしやすいわけであります。音の浅葉に戸をあけるにはしきいへ小便すればよい。そうすればきしむことはありません。それから角帯を巻いて、はしをおさえてごろごろっところがすと、スーッと向うへころがってひろがります。その上をそうっと歩けば板の間もあんまり音を立てません。闇の中で娘と男を見わけるのは何でもない事で、男は坊主頭だが女はびんつけて髪を結うている。匂をかげば女はすぐわかります。布団の中へはいりさえすれば、今とちごうて、ずろおすなどというものをしておるわけではなし・・・・・・。みなそうして遊うだもんであります。ほかにたのしみというものがないんだから。そりゃぁ時に悲劇というようなものもおこりますよの、しかしそれは昔も今もかわりのない事で・・・・・・。


宮本常一 「忘れられた日本人」

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