「犯罪季評」 父親の不在・言語性の軟体動物化

●父親というフィクション

朝倉 犯罪じゃないけど、日航機事故をちょっとやりましょうか。あの、遺書でね、お父さんの遺書を見て、ばらばらだった家族がまとまった、という話があったでしょう。やっぱり、うちのお父さんは偉かった、というの。ああいう話を聞くと、今の家族ってのが、だれかが不在になることによって立ち直るしかないみたいなところがわかって、身につまされます。

別役 とくに父親ね。父親は不在によってようやく存在する。データははっきりしないんだけど、船員の家族って安定しているんだって。父親が一年とか半年とかいないわけでしょう?でも、お父さんの権威って断然たるものがある。久しぶりに家に帰っても、オレがオヤジだって平然として、その不在がほとんど問題にならない。そこへ行くと単身赴任(注4)というのは・・・・・・。

朝倉 不在が中途はんぱなんです。

別役 うん、単身赴任には不在の理由がない、会社の命令で「行け」っていわれて、俺はいやだ、冗談じゃないと抵抗するわけでもなく、いやいや行ってるわけでしょ。父親としての形而上学がないんだね。

朝倉 死ぬことによって、ようやくある種の絶対的存在になる。

別役 つまり、父親というのは形而上的な存在なんです。フィクションなんです。

朝倉 100パーセントフィクション。私は、これだけは自信持って断言できますなあ。父親にとっては、家族の血のつながりというものもフィクションですからね。

別役 最初に男の遺書はいくつかみつかって、その後に主婦の遺書が出てきたよね。すると主婦ってのは、怖い、怖い、怖い、オソロシ―と・・・・・・。

朝倉 死にたくない、と。

別役 ところが男は、飛行機が回りながら落ちていくとかね、描写してるわけ。それをみても、女はやっぱり世界の中を生きてるよ。リアルだよ。男は形而上的にしか生きられない。飛行機が回りながら落ちてるなんて、そんなことを書いたってしょうがないよ。怖い、怖い、オソロシ―だよ、やっぱり。主婦はちゃんと死に直面してる。

(略)

・・・・・・これから冬にかけて、犯罪界の、ひいては社会の展望はどうでしょう。

別役 三浦現象で一つの状況は終わった気がするし、あの状況に対して双方からの反動があるだろう。もうバカ騒ぎはやめようと落ち込むか、「ハレ」ではしゃぎ切るか、どんどん分断されていくんじゃないかな。そして、かつて日本人は落ち込むといえに閉じこもった。ところが今は、落ち込むことへの恐怖から、得体の知れない衝動が突き上げる。突発的、無作為に大事件を起こす、ということがあると思います。
僕が為政者なら、日常感覚を取り戻すってことをやると思うね。つまり、かつてあった中産階級の倫理観、これは下級武士の倫理観でもあるんだけど、まじめでコツコツと清貧に甘んじてと、そういうものが高度成長以来崩壊したわけでしょう。それを別の基軸で支え直そう、という動きが出てきそうだな。

朝倉 ぼく自身は下級武士の倫理観は嫌いじゃないんです。武士は食わねど高楊枝とか。もちろん、あれもフィクションですけど。でも日本でそれをやると、やっぱり日本文化はエラいとか、世界に冠たるとか、すぐそういうところへ行ってしまう。それがいやですね。中曽根なんてパーソナリティは、過剰なフィクションをもてあまして政治家になっちゃったみたいなところもあるし。

別役 確かに、下級武士の倫理を為政者が要求しだすと、教育改革とかそういうところに行くよね。しかも困るのは、われわれがそれに反逆すると、じつは三浦さんが一番正当性を持ってくる。そういう逆転現象が起きてくる。これもちょっと困ってしまうわけだ。

・・・・・・自己完結する倫理?

別役 ええ。政治状況に対しても、プライベートな論理で理解する以外はどうしようもなくなってる。中曽根批判にしてもね、防衛費1パーセントのワクに手をつけたとか靖国参拝じゃなくて、中曽根はハゲ頭であると。そういうことによって中曽根が理解される。中曽根政治も理解される。それで本当に理解してる部分って多いわけね。言語性自体が軟体動物化している。直接的に、言語の論理の衝突部分で何ごとかが行われるというんじゃなくて、生理の得体の知れない部分で理解してる。だから三浦事件が問題じゃなくて三浦現象が問題だとした時に、三浦ってどんな人かなって関心がすごいわけであって、やったかやらないかってことは問題じゃないわけ。

・・・・・・中高年に疲れる柔構造。

別役 そうそう。それを代弁してこんどの三浦さんの逮捕があった。論理で行くよ、ってね。ただ警察の方は、剛構造を回復してやるよと、すごい意気込みでというんじゃなく、どっちかというと、柔構造の得体の知れない言語性に耐えきれなくなって、しょうがない、やむをえず逮捕って感じはあるね。

朝倉 グリコ事件でも、世論が問題であって、犯人は二の次というところがありますね。写真の公開をいつやろうとか。内務官僚の発想ですね。

別役 中曽根的発想。しかし逆に、柔構造の社会でこそ女は平然と生きられるわけ。え、三浦さん?あの人、好き、とかいって。そういうことに中高年は疲れるわけだけど。


(つづく)


別役実・朝倉喬司 「犯罪季評」

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