ストックフレーズ

内田 僕には娘がいましてね。二十二歳なんですけど、小学校、中学校、高校と、授業参観とか三者面談とというのがあると学校に呼ばれますよね。そのとき高校の校舎の中を歩いていて、「あ、俺今この環境だったら狂うな」と思いましたね。子どもたちの間のコミュニケーションて、何ていうのかな・・・・・・ものすごく雑なんですよ。荒々しいっていうか。
もちろん、僕らの子どものころも、ティーンエイジャーのコミュニケーションなんてずいぶん雑なもんだったと思うんですけど、それでもこう、言葉にならなくても、目配せをすれば何となく言語になる以前のもどかしさとか、そういうのが通じそうな相手がいて、そういう友だち相手だとぼそぼそと言葉を交わしているうちにちょっとずつコミュニケーションのやり方がわかってくる・・・・・・っていう感じがあったじゃないですか。
でも、今は傍で聴いていると、ほんとにストックフレーズが行き交っているだけなんです。出来合いの言葉をひたすらハイスピードでやり取りしてる。語彙もわずかですし。そうでなければ、うちの子もそうでしたけど、沈黙している。誰とも関わり持たずに、独りで閉じている。そんな二派にもう、ほぼ分離してしまっていて、中間がない。
中学や高校生のときには、思春期の、なんとも言葉にならないような思いがあるでしょう。それを、どうにかして言葉にしていこうとする。でも、言葉にならないから、何か言おうとしても、ため息とかうめき声しか出てこない。それを黙って聴いてあげて、言葉のかたちをとるようになるまで待ってあげるのが友だちだよ。そういう黙契があったように思うんです。でも、今の子たちは、見ているとそういう言葉にならないものが言葉になるまでの時間を待ってくれないんです。すぐに言葉にしろ、と。だから、しかたなくて、みんなわかりやすい言葉に逃げ込む。「むかつく」とか「キレる」とか、あるいは「おまえは黙ってろ」か。断定的な言葉が多いんです。うまく断定できない。価値判断できないで、口ごもっているようなあいまいな言葉を許容するような雰囲気がないんです。それが僕にはすごくきつかった。なんか、テレビのトーク番組を見ているみたいで、秒刻みで、脊髄反射的に言葉をやりとりしている。そういうことは、高校生にはしてほしくない。僕はしたくない。

橋本 高二になって初めて、そういう空気に接したかもしれない。みんな受験勉強をはじめて。だけどその前までに、俺は全部排除しちゃった。

内田 橋本先生は排除するほうですか。

橋本 うん。昔って、中間があって、両極端てほんのちょっとだったと思うんですよ。

内田 ・・・・・・。

橋本 今って、中間がなくて両極端が深―く大きくなっちゃってるでしょ。でも、ウォーゲームみたいなもんで、中間が大きくなっちゃえば、両極って、排除できるんですよ。だから、そのどちらにも属さない中間に拠点を作っちゃえば、フラフラしてても大丈夫だったんですけど、要は、確固として曖昧という変な状態ですけど。俺わりとそれは得意だったし、クラスの中でズーッと人と人の間を渡り歩いてみたいな。それが可能だったのは、きっと中間というフィールドがあったからで、高二になるとね、それがなくなったんですよ。

内田 どういうふうになっちゃうんですか。

橋本 それはもう、肌の感じみたいなね、空気がないから動けないっていう、そういう感じなんですよ。

内田 ・・・・・・。

橋本 それでもあえて動こうかなと思って、動くじゃないですか。そうするとどっかに冷たい視線がある、っていう感じかな。最終的にはその視線と関わりを持ちたくないから、「俺はここで別のことやる」と思った。環境ということじゃなくて、自分がどうであったかというと、誰とも口をきかない子というのは、小学校に入ってから四年間ぐらいズーッと遭難ですよ。でもそれはその子にとって楽かというと、楽ではない。あと一年、あの状態が続いてたら俺は絶対おかしくなっただろうっていうのはわかるんですよ。だからもう、この状態がいやだから何とかするって思ったときに、自分も周りも変えていくようなかたちで動いていかない限りダメだと思って、周りを巻き込みながら自分の居場所を作った。中学から高校の初めまでは、そうだった。生きるってこと自体がすでにそういう動きだったんですよね。でもなんか、またいつの間にかそれがなくなっちゃって、「あー世の中ってそういうもんなのかもしれない」とかって思ったから、高校卒業してから大学の間っていうのは、またズーッと口きかない子に戻っちゃった。ただ二十代は、大学とあんまり関係のない友だちと、閑なときは付き合って遊んでっていうのはあったから、二十代はそんなでもないんですけど、作家になってからまた来ましたね。


「橋本治と内田樹」(筑摩書房)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?