橋本治「デビット100コラム」 留守番電話

ひろみのLPに『ひろみの部屋』というのがある。彼がデビューして二枚目か三枚目のアルバムだから、かなり前の作品で、多分もう廃盤だろう。レコードに針を落とすと、まず電話のベルの音がする。ついでカチャッと受話器を取る音がして「もしもし、あ、ぼくひろみです。今、僕の部屋で一人でレコードを聴いているとこなんです。ウン、とっても好きなアルバムなんだ。君も一緒に聴いてみませんか?シィー・・・・・・」という郷ひろみ自身のナレーションから曲に入っていくという、今となれば“よくあるテ”である。

私は昔の郷ひろみが好きだったし評価もしていたから、こんなヘンテコリンなものを持っているのだが、一番最初にこのレコードを買ってきて針を落としたときの印象は複雑だった。「だからどうだっていうんだよ、お前はァ?!」などという呟きを「きみも一緒に聴いてみませんか」というフレーズに重ね合せていたりしたのが、二十代の真ン中辺の私なのである。知らない男の子に胸をくすぐられると、困ってしまう。

明らかに嘘くさいのだが、かえって、芝居というには妙にリアルにすぎるという、ヘンテコリンなものであった。そのナレーションは。

で、私はそういうものの利用価値はなにかないかと思って・・・・・・私は一貫してそういう発想しかしない前向きな人間である・・・・・・おとなしく機会を待っていたのである。

私の友達におおくぼひさこというカメラマンがいる。もう十年以上の付き合いだからお互い年を取ったものだが、そのころ、彼女のところには留守番電話というものがあった。今では別にクリエイティブな職業を持ってなくたって、シロートの独身男女が平気で留守番電話を持つ時代だが、そのころは、フリーで留守番電話が持てるというのは一種のステータスだったのである。「橋本くんだって留守番電話を買えばいいのにィ」とおおくぼセンセイにいわれても「うーん・・・・・・」としか言わなかった私の背後にはそういう心的状況もあったのである。

閑話休題。
という訳で、ある日私がおおくぼひさこのところに電話したら、留守番電話特有の異様な声が流れて来たのである。「プーンという、発信音が流れたら、お話し下さい」という、例のヤツである。私はその「プーン」という発信音を聞いて、あわてて受話器を下したのである。あることを思いついたからである。

私はレコードをセットして、それから改めて、彼女の住居であった“おおくぼひさこ事務所”に電話したのである。「プーン」という音がすると、すみやかに郷ひろみはこう言ったのである。・・・・・・「もしもし、あ、僕ひろみです。今、僕の部屋で一人でレコードを聴いているとこなんです云々」。

しばらくして戻ったおおくぼひさこ事務所のアシスタントは、おおくぼひさこにこう言った・・・・・・
「おおくぼさん、郷ひろみさんから電話が入ってますけど・・・・・・・」。

私にしてみれば、留守番電話というのはこういう使い方しか思いつけないものなのである。

それから暫くして“有名人の留守番電話”などというのが話題になって、電話をかけるといきなり音楽が鳴って、一クサリDJがあって実はこれは留守番電話なのだということを告げるというのが“新しい”とか“すてき”とかいうことになった・・・・・・その当時はまだナウイという言葉がなかった。

本来的には私はそういういたずらが好きなので、「買おうかなァ・・・・・・」とその時は思ったのだが、その一方でわたしは「他人が公然とやってるいたずらの真似するバカモねェや」という自負心もあるので、ズーッと、留守番電話の存在を黙殺していたのである。あれば必ずイタズラッ気が出るに決ってるし、イタズラッ気を出せば、そればっかりやってるにちがいないし、ダサイバカになるに決っているからである。

という訳で、私の家には留守番電話がなかったのである。「なくてもいいや、人間の出会いなんて運次第」と私が思っていたからである、と同時に、寸秒刻みの生活というものと私とは無縁だったからである。

ところがである。去年の春TVのCMに出てから、事情は一変したのである。ある時期、家の電話は鳴りっ放しなのである。私が「小説書かなきゃ」と思ってるそばで、ギャンギャン、ギャンギャン、電話が鳴るのである。「殺してやろうか!」と思って、「どうするベェ」と思っていたら、よくしたもので、TVの番組に出た記念品というんで、突如私のところに留守番電話が届いたのである。「ええい!使ってやる!使ってやる!」と思って、私はさっそくテープに吹き込んだのである。「はい、橋本です。橋本はいま仕事中で電話に出ません。もう一遍言います。橋本は電話には出ません。さいならァ!」

これをわたしは早口で言ったのである。早口でいっても聞きとれるように練習をして、叩きつけるように吹き込んだのである。私は何がいやだといって、あの留守番電話のスローモーな口調がいやなのである。あんなにのんべんだらりと言わなくたって、留守番電話の扱いぐらいまともな人間には分るのである。テンポを無視した冗談ぐらい癪にさわるものはないのである。

という訳で、私は留守番電話を仕掛けて、あたかも罠を仕掛けて獲物を待つ猟師のように、緊張の中で机に向ったのである。

リーン!(電話が鳴った)カシャッ(テープが動いた)シャカシャカ(テープが喋ってる!)
・・・・・・ザマァミロ!そう思って私は、昼間っから寝てしまったのである。

誰が仕事なんかするもんかよ!(一体私はどういうパーソナリティなのであろうか)


橋本治 「デビット100コラム」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?