ブーアスティン「幻影の時代」TRAVEL

複製技術(グラフィック)革命が進行しはじめた19世紀の半ば過ぎころから、最初はヨーロッパ陣、次にアメリカ人による外国旅行の性格が変わりはじめた。この変化は現代になってその頂点に達した。昔の旅行は長期にわたる準備、大きな費用、時間の莫大な投資を必要とした。またそれは健康の危険、時には生命の危険すら含んでいた。旅行者は能動的だった。しかし今では受け身である。旅行は自分のからだを動かすスポーツから、見るスポーツへと変化した。

このような変化は、一口で言うならば、旅行者の没落、観光客の台頭である。これらの言葉には、人には気づかれないがみごとな正確さがある。旅行という意味での古い英語の名詞travelは、本来、骨折り・労働・苦痛などという意味を持ったtravailと同じ言葉であった。travail自身は、三つの棒のついた攻め道具を意味したラテン語あるいはロマンス語trepaliumが、フランス語を経由して英語にはいって来たものと思われる。旅行すること、すなわちtravail(後にtravel)することとは、骨の折れるやっかいな仕事をすることであった。旅行者とは、一生懸命に仕事をしている人のことであった。

19世紀の初めに、世界旅行の新しい性格、とくにアメリカ的観点からみた場合の新しい性格を説明するのに役立つ、新しい言葉が英語のなかに現れた。それはすなわち「観光客 tourist」という言葉である。最初はtour‐istのようにハイフンがあった。現代のアメリカの辞書はtouristを「楽しみのために旅行する人」と定義している。ここで興味深いことは、touristのtourはラテン語のtornusという言葉から逆成法によって作られたものであり、このラテン語は円を描くのに用いる道具を意味するギリシャ語から派生したということである。旅行者は仕事をしている人であり、観光客は楽しみを求める人である。旅行者は能動的であって、人々・冒険・経験を一生懸命捜し求めた。観光客は受身であって、おもしろいことが起こるのを待っている。観光客は「見物」に出かける。(この「見物」sight‐seeingという言葉も、touristという言葉と同じ頃現れたもので、記録されている最初の用例は1847年である)、彼はあらゆることが自分のためになされることを期待している。こうして外国旅行は一つの活動・・・経験・仕事・・・ではなくなり、そのかわりに一つの商品となった。さまざまな旅行の魅力が詰め合わされて一包みとして売られるようになると(パッケジ・ツア)、観光客の増加が可能になるばかりでなく、不可避となった。観光旅行を買った人々は、楽しくておもしろいことが自分に起こるよう誰かが準備してくれることを期待した。観光旅行は、月ぎめ、週ぎめ、あるいは国別といった卸売りで買うこともできたし、日ぎめ、外国の首府別といった小売りで買うこともできた。


D.J.ブーアスティン 「幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実」

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