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そのオプションに手触り感はあるか?

かく言う私も机上の理想や空論を投げかけて、「あるべき姿」はこうであると述べるタイプ。したがって自分へ日々問う言葉として「(いま自分が伝えたことにについて)相手は手触り感を感じたか?」を使います。

論者や識者は求められていない

経営やマーケティングを客観的に見ていると、ついついいつの間にか既存の枠組みに半ば自分が陶酔し、「こうあるべきだ」「どうしてこうなれないのだろう?」と論じ始めるが、これはぐっとこらえてアウトプットせず、その上に逆の視点から物事を捉えようとします。つまり、「こうなれない事情は何か?」「こうありたいはずなのになれない差分は何か?」という問いです。つまりイシューを探すわけですね。きっと理想の姿でありたいはずなのに、なれない事情があって、その事情が何かを突き止める。これが我々のような第三者に求められる課題解決への第一歩であり、"手触り感のある"イシューとソリューションを提案するための道筋です。

論者になった瞬間に思考停止状態に

理想をただ振りかざし、できないことを突き止めずにソリューションだけを提案するような論者になってしまう=思考停止状態です。私は政治を論じないようにしているのですが、よく政策を表層的な部分で批判される方をお見受けします。「どうして政治家は分かっていないんだろう」。この視点では当事者意識が欠けています。「政治家のことだからこんなことも考えただろうが、できない理由は何か?」と考えた方が課題の特定の道筋に通じています。

当事者意識=信頼

共創するパートナーに対して、我々は当事者意識を持つことが大切です。これはコンパッションにも繋がる視点で、つまりは相手へ寄り添う気持ち。相手が「できない何らかの課題に直面している」ことを理解し、察した上で、その理由を分析すること。その分析の過程では恐らく相手に寄り添って傾聴することも大切でしょう。クライアントの課題解決ができる人間になるには、自身の人間力を磨く必要もありますね。

Photo by Dev Benjamin on Unsplash


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