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研究者と一般のファンを繋ぐ/経済的に独立して第三の道をゆく

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
ぼくは、たまたま三国志という題材で戦って/遊んでいますが、ほかの題材や分野にも通じる話だと思うので、ちょっと聞いて下さい。

あの分野の専門家・研究者と、その分野の一般のファンを繋ぐ媒介、架け橋になるには、2つの方法があります。

① 専門家・研究者として圧倒的な業績をあげ、ファンに手を伸ばす
② 一般のファンが、専門家・研究者に昇格し、仲立ちする

意外と選択肢が少ないし、どちらも成功確率が低いんですよ。

①圧倒的な専門家が手を伸ばす場合

(期待に反して)専門家・研究者が、一般のファンに向けて情報発信するのは、簡単じゃないんです。
研究者の世界には、かれらの集団の規範があります。一般の人々、その分野のファンたちにアクセスすることは、「はしたない」「余計なことをして」と、眉をひそめられます。下手をすると、業績を正当に評価されず、立場を失うかも知れません。

発信をするためには、だれにも文句を言われない圧倒的な地位と名誉を手に入れなければいけません。
地位や名誉を持った専門家・研究者は、各分野にいらっしゃると思いますが、かれらが、ファンに向けて発信するかは、完全にそのひとのポリシーによって決まります。なぜなら、その「必要」がないから。

広報活動、市民の啓蒙?啓発?を、「仕事」としてやる範囲では、いまいち届かないでしょうね。
受取手である市民にも、思うところがあります。

まったく属人的な問題です。これでは、「方策」とは言えません。
一般のファンへの発信にも熱心なひとが、たまたま地位も名誉も手に入れるのを待つしかない。これは、救世主を待つ難民と同じ。運任せです。

②一般のファンが研究者レベルになる場合

最初に断っておきますが、難しいです。
本来の属性が、大学の研究者ではありませんから、専門性がない。研究者が何を考え、何に取り組んでいるのか、そもそも理解ができない。雑学王みたいな知識の量は、本来の「専門性」とは、まったく別のスキルです。

想定されるルートとして、社会人(会社とか役所にいちどは就職したひと)が、大学院の門を叩く、ということになります。がんばり次第で、専門性は身につくかも知れませんが、いかんせん、「ただの出遅れた研究者」になる可能性があります。
「ただの出遅れた研究者」から出発し、「大学卒業後、その道一本で研究を続けてきたひと」に追い付く。研究者の内部のルールに従って、不用意な発信は慎んで、そのうえで、①圧倒的な地位と名誉をもった研究者に進化しないかぎり、架け橋になれません。

ただの集合論として分かることですが、
「社会人の経験者が、大学院に入り、名誉ある研究者になる」よりも、「(一度も就職せずストレートで)大学院に入り、名誉ある研究者になる」ほうが、確率が高いです。道が開けています。

よくある誤謬です。
あるひとが「まじめな銀行員」である確率と、「銀行員」である確率は、どちらが高いですか?
答えは、「銀行員」である確率です。ウソのような本当の話。だって、「ふまじめな銀行員」も、YESに含めることができますからね。

社会人を経由し、研究者にスイッチするならば、中途半端に、「ファンと専門家のあいだに立つこと」を標榜するのは、得策ではないはず。それでは、のし上がれないです。
社会人の経験者が、研究の道に合流しても、「一般のファンと研究者をつなぐ」役割を、担うことは難しい。パラドキシカルですけど、逆説でもなんでもありません。

第三の道をぼくは模索する

悲観的なことを書いてきましたが、うまくすり抜けたい。

ふつうの社会人が、
① 一般向けに発信することに価値を感じている、すでに地位や名誉をそなえた研究者を探しだし、一時的にせよ師事する。
② 職業的な研究者にならず、内部の倫理(軽々しく一般に向けて情報発信するなかれ)に縛られない。

という、トリッキーな方法があると思います。
前提がゼロで、① 地位と名誉があって、発信に積極的な研究者の出現を待つのは、かなり絶望的なバクチです。しかし、既存の顔ぶれのなかから、そういう研究者を探すならば、成功確率は上がります。
そういう先生ならば、相手が社会人であっても(後任の研究者の育成という本来の役割から逸脱して)、学問を教えて下さるかも知れない。

経済的な自由(たとえば、べつに職業があるなど)を確保しておけば、研究者の内部のルールから自由です。学問の世界で、就職や出世を目指すことから解放されます。「軽々しく」習ったことを発信できます。

ぼくは、この道を行こうとしています。しばらくやってみて、ちょっと見えてきました。第三の道みたいな感じです。よろしくお願いします。

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