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大人の趣味とお金/こころざしとお金のバランス

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
趣味の最初のフェーズは、もっぱら消費者として、既存の商品や情報、道具を買いあさるところから始まるんですけど、順調にこじらせていくと、ものを作って売ったり、お金をいただいて披露したり、お金を集めて活動を応援して頂いたりする段階へと進みます。

趣味の世界で、お金を使うだけのときは、消費者としての行動と一致しているので(コンビニでおにぎりを買うのと同じ)、あんまり困惑することはありません。しかし、お金を受け取る側になると、とたんに、経験・訓練の不足により、立ち回りが難しくなるんです。
お金を頂くことに対して、喜びすぎたり卑屈になりすぎたり、反対に、欲張りすぎたりと、加減が難しいと思います。お金を受け取る側になるにあたり、ぼくのトライ&エラーを書いてみたいと思います。

日本の労働人口の多くは、つとめ人・やとわれ人で、特徴的な社会構造だそうです(人数比はググると出るでしょう)。「経営者」としての自己は存在せず、だれかの指示に基づいて動いて、その対価としてお金をもらうというのが、生き方のベースになっているわけです。
基本的に、「カネ」で首根っこを掴まれています。やりがい・こころざしを介在させることは、優先ではありません。「会社は、きみを喜ばせるために、仕事を与えているのではない」というのは、まったく正しいです。「もし仕事が楽しいならば、きみが会社に対してお金を払わなければならない。ディズニーランドは、楽しませてもらったほうが、お金を払っているだろう?」と、実際に言われたこともあります。楽しくないから、お金がもらえる、という論理ですね。うげ……。
会社員・公務員にとって、「やりがい」というのは、雇用主の見ていないところで盗み取ったり、本来は存在しないが、自家発電や詭弁によって捏造するもの、となってしまいます。
会社員として渦中にいると、ちっとも仕事が楽しくないと、とても嘆かわしく思われますし、転職や退職の理由になります。体調をくずすひとも、これが原因だと思います。

趣味で、お金をいただく段階に進んではじめて、徒手空拳で、「経営者」としての振る舞いが求められます。マジで困ります。

ぼくが思うに、「お金」と「志(こころざし)」のバランスで捉えればいいのかなと思っています。
志にかなう(やりたいと思う)ことが大事です。しかし、やりたいだけでは、たんなる消費者なので、永続性がなくなってきますから、お金を得ていくというのも、同時に必要なのかなと。

たとえば、オフライン・イベントを主催します!というとき、「こんなぼくの話を聞いてくれるなんて、みんなありがとう!会場代は、ぜんぶぼくが負担します」という設定は、あり得ます。志が満たされるので、べつに悪い判断ではないと思いますけど、好評を博したところで、2回、3回と続けていくのは、しんどくなります。
ぼくは、三国志研究会(愛知版)というのを、10回ぐらい貸し会議室でやっていましたが(感染症により中断)、このときは、会場代を参加者全員で割り勘をして頂いていました。発表者に講演料を支払わず、ただし主催者であるぼくも主催料を得ていませんでした。お金の出入りは、会場費のみ。
http://3guozhi.net/p/kn.html

ある分野で功績のあるひとがイベントを開催し、講師を招き、参加費無料、講演者の謝礼無料、で開催するとします。
参加者は、無料ならばこれほど嬉しいことはありませんが、講演者としては、最低限の入場料を取ってもらったほうが、聞き手の集中力が高まるのにな、と思うかも知れません。徴収の名目が、会場費でも運営費でも、なんでもいいじゃないですか。
講師としては、じぶんが有料の話ができる人間じゃない、と謙遜する気持ちがある一方で、同じ会場で、べつの講演者がそれなりに入場料が設定されている場合(その入場料のうち、何割が講師に払われているか分かりませんが)軽んじられたような気持ちになります。自分への講演料は要らないから入場料を取ってほしい。それが出来ないなら、依頼なんかして欲しくなかったな、という気持ちになるかも知れません。
ならば講演を受けなければいいじゃん、という話ですけど、「最低1回以上、だれかの依頼で講演した」というファクトだけがほしい場合、不愉快を飲み込んで受けるでしょう。無料で入場した受講者に罪はありませんから、本番では楽しんでいただけるようにベストを尽くしますが。

お金が欲しいーっていうわけじゃなくて(もちろん、欲しいですけど)諸般の事情で、お金で報いることが難しいならば、志の部分に訴えかける。志の部分がいまいちならば、お金で納得させる。
主催者が、ていねいに志の部分のケアができない場合、基本は受けてもらえないし、かの無料講師は、「最低1回以上」の要件が満たされた時点で、もう次は受けないでしょうね。暗黙の打算です。

このあたり、ずっと雇われ人だけやってくると、「あなたの部署の担当ですよね」「あなた、給料もらってますよね?」という、お金の圧力だけで屈服させてきた経験しかないので、ノウハウが貯まってないんですよね。
会社の場合、「やりがい搾取」って言葉があって、志に訴えかけて、安い給料でこき使うことができますが、それって、カネ=基本給の部分で、足かせをハメているから搾取ができるわけで。全員が「プチ経営者」である趣味人から搾取すること・搾取し続けることは難しいんですよね。

自分で何かをやるときは当然として、だれかとコラボレーションする、依頼するときに、「お金+志」の部分で、きちんと報いることができる設定になっているか、というのは、チェックし続けていかないといけないです。
ぼくが現在「失敗」しているのは、歴史書の翻訳プロジェクト。1年半ほど主催しているんですけど、ぜんぜん翻訳の成果が集まらない。
翻訳事業って、大学院生が無料でさせられることが多いので、その意味で、お金の部分は、設計をミスっていないと思うんです。しかし、翻訳というのは、やはり大変な仕事です。「志」の部分に、うまく訴えることができておらず、だから成果が集まらないのでしょう。これは、翻訳の御礼を5倍に増やしても、けっきょく成果は集まらないんじゃないか、と思っています。お金の問題じゃないと考えています。難しいです。。

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