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大学院で三国志を習うって何?/異分野の方にご説明します

佐藤ひろおです。会社を休んで、三国志の研究をしてます。

note経由で、接点のできた方と直接お目にかかったんですが、
「大学院に行って三国志を習っているって、本当だったんですね」
って言われました。
いやいや、ホントですよ!!早稲田で、渡邉義浩ゼミに出てます。
ていうか、このnoteにおけるぼくの名乗りであり、このnoteを始める直接の理由になった、「会社を休職して大学院に出席し、三国志を研究している」っていうのが、よく分かんないんですね(笑)

マジか……………。
いやいや、いいんですよ。
ひとと違うことをするというのは、狭義には、ビジネスで利益を出すための近道であり、広義には、自分らしく生きていることの証拠です。

「大企業で正社員をしています」っていうのは、いちおうは「正解」とされ、だれにでも分かる肩書きです。文句のつきようがありません。説明不要。少なくとも、お金を借りるときは、最強です。
でも、おもしろくない。量産機です。コモデティです。
企業と肩書きをテコにして、情報発信者としてのプロフィールを際立たせるためには、日本ならば、トヨタ自動車で部長をしてますとか、GAFAで管理職をやってます、ぐらいじゃないと、キャラが立ちません。レッドオーシャン、イバラの道に見えます。少なくとも、ぼくには。

大学院で三国志を習うって何をするの?

noteでぼくを一瞬でも気に留めていただいた方には、自己紹介のつもりで書きます(今さらと思われても……)。
それから、歴史が好きで、大学もしくは大学院で学んでみたいという中学生や高校生。リモート授業ばかりで、いまいち学問のおもしろさがよく分かっていない、現在大学2年生のひとに向けても、書きます。

たとえ話から入ります。すぐ終わるんで付き合ってください。

たとえば、超小型のラジオがありますよね。カードのように薄かったり、数センチ四方だったり。「マッチ箱サイズ」って書こうとして、若いひとは知らないだろうなって、思いとどまりました(笑)

超小型のラジオをつかまえて、「材料のプラスチックや金属の値段=原価は10円程度なのに、それを1000円で売るなんて、ボッタクリだ」というひとがいます。ネットスラングでは、「原価厨」っていいました。

むかし、『鋼の錬金術師』っていうマンガがあって、ひとりの人間を構成する物質は、子供のお小遣いで買えるっていうセリフがありました。比率がもっとも大きい「水」は手に入りやすいし、ほかに、炭素だとか少量の金属だとか…その気になれば、買いそろえられると。
でも、現状の科学の力では、人間をゼロから(物質的な材料だけから)作ることはできない。というのが、マンガのお話。

超小型ラジオの原価(材料費)は10円だというひとに、ぼくは問いたいと思ってました。10円わたすから、同じものを作ってくださいと。

作れないですよね。
メーカーには、技術的な研究開発、デザイン、設計(品質や耐久のテストを含む)、材料調達、製造ラインの構築、そしてようやく製造、品質検査などのノウハウの蓄積があって、量産化してはじめて、
トータルで800円ぐらいで作れるようになります。
流通や販売などが介在し、1000円でやっと消費者の手元に届きます。

三国志に限らず、学校で習う「歴史」や、解説書に書いてある歴史の記述は、超小型ラジオと同じです。
超小型ラジオの「材料費」に相当するのは、「情報」です。情報だけならば、それこそ、子供の小遣いで手に入るんですよ。

ネットの発達によって、「情報」の値段は限りなくゼロに近づいたとされています。
超小型ラジオのたとえ話ならば、「だれでも持ち帰っていいです」という、電子部品やプラスチック片が、お店の前や広場のまんなかに置かれているようなもの。タダです。

「情報」は、タダになった。
だったら、だれにでも歴史を書ける。……のか??

自分は、そうは思いません(笑)
10円分のプラスチックや金属片が、さらに値崩れし、原価が0円になったとしても、超小型ラジオを組むことは不可能です。高品質で頑丈で小さいラジオを作るには、ノウハウが必要なんですよ。

ネットには、三国志の解説記事、解説動画は、無限におっこちています。ですから、「今さら、大学院にまで行って、三国志を習うって何?ていうか、その必要があるの??」って思われがち。
しかし、ネットにある三国志の「情報」は、玉石混淆というが、瓦礫の山です。情報だけなら、子供のお小遣い(以下)で手に入るので、ネット上には、仕入れ原価ゼロの「情報」が量産されています。

ラジオのたとえならば、見せかけだけは超小型だが、音が鳴らなかったり(ガワだけ)、音は鳴るけれどすぐ壊れたり、サイズがものすごく大きくて持ち運びに耐えられなかったり。

超小型ラジオで、1000円の製品が流通するためには、その前段階に、さまざまな専門的な知識、技術的なノウハウの蓄積(職人芸をふくむ)がありました。上に書いたとおりです。
三国志などの歴史だって、同じです。
「メーカー」のなかに、どっぷり浸かって、実務経験を積まないと、身につかない、クローズなノウハウがあると思っています。

泥臭くて、時代に逆行しているかも知れませが。
「あらゆるノウハウが、クラウド上にある時代!」と言われて久しいのは、よーく分かっていますが、ぼくは、ノウハウの核心は、ウエブでは手に入らないと思っており、それを習いに言ってるんです。以上、個別の話、専門的な話をせずに、説明してみました。

異分野の方との対話を踏まえて

ぼくはこの話を、はじめ、スマホ(iPhoneなど)でしようと思っていたんですよ。「スマホなんて、ガラスの板と、いくばくかの電子部品で構成され、原価は数百円だ」というひとがいますが、作るのはムリですよね。

でも、上記の(note経由で話す機会を得た)ひとに伝えるなかで、ちょっと軌道修正をしました。
現状、スマホを趣味の電子工作で作れるひとは、恐らく皆無です。スマホをたとえにすると、「歴史を書くということは、一部のプロの特権であり、学問を修めていないと不可能」という比喩になります。

ぼくは正直、今でもそうだと思っているんですけどね(笑)
だって、歴史を書くというのは、それぐらい難しいことです。徒弟制度のなかで、シビアな訓練が必要だと思ってます。

スマホの比喩だと、対話者に納得してもらえなさそうだったので、少々ぶさいくですが、超小型ラジオにしました。

ラジオならば、企業がつくるレベルでの超小型化はむずかしいが、電子工作が趣味のひとなら、聞こえるラジオは作れます。他人がつくった部品の集合を組み合わせて、放送を受信することは可能です。聞こえるならいいじゃないか。聞こえないよりいいじゃないか。
そういう「開かれた」部分があってもいいのでは??という観点も、加味しておきたかったので、超小型ラジオという、よく分からないものを持ち出してみたわけです。おそまつさまでした。

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