とある野良猫の介護職

不眠症もちの介護福祉士、看護師。 薬漬けの医療業界が苦手で、施設で介護士として働いています。菜食主義者。

とある野良猫の介護職

不眠症もちの介護福祉士、看護師。 薬漬けの医療業界が苦手で、施設で介護士として働いています。菜食主義者。

    最近の記事

    睡眠薬…断薬して一年が経ちました。

    睡眠薬を飲んだことのある経験者なら、この薬を断つことがどれだけ大変なことか、よく分かるでしょう。わたし自身も、涙を飲むようなつらい思いをしながら、少しずつ断薬減薬を行ったわけだから。  また、薬に頼ってなんとかその日眠れるかどうかという状況なのに、これを減らしたらどんなことになるのか…気が気じゃなくなるでしょう。 ある医師が本で書いていたけど、睡眠薬を常用している患者のなかで、それを止められるのは、かりに100人いたとしたら一人か二人くらいらしい…。それほど難しいことである

      • ふたたび、看護師に復職することはあり得るか?

        わたしは介護のしごとを続けていこうと、介護福祉士の国家資格も一から取り直した。それでも、このさき看護師に戻ることはあるだろうか。これまでに、何度となく自分に問いかけてきたことでもある。 いまの派遣先の施設では、入居者が80名もいるのに、常勤の看護師は一人しかいない。ほかに派遣の看護師が一人いるが、あとは日替わりで単発派遣のナースが每日きている有り様である。  その一方で、介護職はざっと30人くらいもいるのである。介護施設のナースは、基本夜勤をやらないし人気があるのかと思って

        • 私にとっての読書の流儀

          だいたい中学生のころから、暇つぶしに本を読んでいた。十代のころは、読解力も未熟で、注意力散漫。本を読んでもろくに頭に入らず、字面ばかり追いかけている、ということがよくあった。だから、せっかく親のお小遣いで何かしらの本を書店で買っても、結局途中でやめて投げ出してしまうことがままあった。  そんなわたしだったが、今では自分のことを、“優れた読み手(good reader)”であると、かってに思っている。たいていの本は、読んでいてすらすら頭に入ってくるし、ほとんどの本は最後まで読み

          • ふたたび、派遣介護士にもどりました

            以前、不眠症になって医者にかかり、そこで睡眠薬をだされて薬漬けにされていた。医者も医療も信用しないおれは、自分の意志で生活を全体から変えていこうとした。同時に、薬も少しずつ減らしていき、きっぱりと断薬したのが、ちょうど一年前の今頃のことだった。 それから介護の仕事に復帰したのだが、この一年で4回も職場を変わっている。最初のころは仕事のストレスからか、夜はほとんどまったく眠れた気がしなかった。夜中にずっと意識がある、というのはこの世でもっとも恐ろしいことの一つだと思う。  い

            介護と看護、その教育の違いについて

            わたしは看護師をやめて介護で働き、一から資格を取り直した。こういう人間は珍しいようで、いままで介護の現場で働いてきて、そういう人を知らない。看護学校を中退した人とか、准看護師だけど介護をやっている人はいたけどね。 しかも、わたしは介護福祉士の実務者研修を2回も受講した。一回目は、当時働いていた病院の師長から勧められたもので、割引で受講することができた。通学の日程がタイトなため、働きながら参加するのはなかなか大変なことで、途中でやめてしまった。  それからは、「介護職はべつに

            ようやく、退職できました(安堵)

            社会福祉法人の特養、退職の意思表示をしてから2ヶ月たらず、ようやく最後の勤務をおえて退職することになった。この短い期間でも、消耗して果てしなく長い時間に思えましたね。  短期間の離職になるから、退職金もボーナスも支給されない。時給換算でいったら、派遣よりも安い賃金でこき使われただけ。  この経験に、なにか意味があったのだろうか? 自分なりに振り返りをしたい。 ●浮き彫りになったユニットケアの重大欠陥。ユニット型に未来なし。  これまでの記事にも書いてきたとおり、ユニット型の

            家族への連絡は、介護職の業務なのか?

            もうじき退職するいまの施設で、どうしても納得がいかないことの一つに、家族とのやりとりまで介護職がやらなければならない点がある。  居室担当が毎月一回は連絡して、利用者の様子を伝えることはもちろんのこと、転倒や皮膚に傷が見つかったらその旨を連絡しなきゃならないし、薬が変更したら、変更した理由とともに家族に連絡しなきゃならない。そういうことになっているらしい。 以前も、ユニット型特養で働いていたことがあるが、そこでは家族連絡は介護ではなく、相談員やケアマネの業務になっていた。

            介護・看護職にとって死活的な腰痛予防について

            いままで働いてきて、多くの介護職が腰痛に苦しんているのを目にしてきた。ひどい場合は、腰痛で入院して手術を受けたというはなしも聞いた。この問題は、介護現場にとって、あるいは病棟の看護師にとっても、誰ひとりとして他人事ではないだろう。 その原因は、とにかく仕事で“かがむ”動作が多いことが大きいだろう。ベッドサイドでは、おむつを交換するのに“かがむ”必要があるし、車椅子⇔ベッド間の移乗の際にも、介助のために“かがむ”必要がある。こういった動作の数々が、積み重なっていくとしだいに腰

            新時代の介護施設経営のあり方

            わたしは20代のころから、組織論というテーマになんとなく興味があった。当時は自衛隊にいたこともあり、もっぱら軍事組織に関心をもっていて、「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」とか、野中郁次郎先生による「アメリカ海兵隊 非営利組織の自己革新」などを読んでいた。  そういえば近年は、ビジネス界のほうが過去の戦争とか軍事組織から教訓を引き出そう、という風潮があるように思える。そうした関連の本を書店でよく見かけるようになった。 ここ2〜3年に影響を受けた本のタイトルをいくつか挙げると

            わたしが心の拠り所とする本とそのことば

            人生で影響を受けた本は何冊もあるかもしれないが、生涯にわたる一冊を選ぶとなると、そう多くはない。  わたしにとっての一冊は、まちがいなく「ラマナ・マハルシとの対話 全3巻」(ナチュラル・スピリット)だろう。 この人物は20世紀初頭に、とくにイギリスなど英語圏の国々に知られたようで、わたしがマハルシについて最初に知ったのは、デイヴィッド・ゴッドマンやアーサー・オズボーンによるラマナ・マハルシの評伝を読んだのがきっかけだった。  当時わたしは20代後半で、人生について悩むなかで

            介護職を苦しめるクソどうでもいい記録物等

            わたしは現在、特養で働いていて、それも今月半ばまでの辛抱である。そこで、もうすぐ退職間際というのに、しょうもない書類仕事の数々に悩まされている。 たとえば、月に介護主任に提出する書類の一つに、“温度板”と“個別機能訓練”の表がある。そこで、本来入力されるべき項目が、正しく入力されているか、チェックしなければいけないのだが、中には漏れがある。  たとえば、入浴日なのにバイタルサインが入力されていない、とかはよくある。そういうとき、その当時の体温とか血圧とか脈拍とか記録に残され

            障がい者にとって住みやすい街づくりを考える

            前回の記事「世のため人のため、寄付を続けていきたいと思うこの頃」では、難民への支援や動物や家畜の福祉について、ちょっと触れてみた。今回は、障がい者の福祉について自分なりに述べてみたい。 わたしは以前看護師として2年余り働いていたが、そのなかで神経内科の病棟で神経難病の患者の看護にかかわっていたことがある。  患者はそれこそ、藁にもすがる思いで医療に頼っているわけだけれども、何種類もの薬を飲んで、それでどうにかADLを維持できるかどうか。それも、ジスキネジアなどいろいろな副作

            世のため人のため、寄付を続けていきたいと思うこの頃

            わたしは20代後半ころから、思うところあって寄付をはじめるようになった。いっときに数万円寄付することもあれば、マンスリーサポーターになって毎月少額ずつ寄付をすることもあった。   たとえば、これまでに一万円以上寄付をした組織・団体には、以下のようなものがある。 国境なき医師団、アムネスティ・ジャパン、UNICEF、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、WFP(国連食糧計画)、北朝鮮難民救援基金。 しかし最近は、派遣で働いてきたこともあって不安定雇用のため、寄付は打ち切って

            かつて、日本が嫌いだったわたし

            20代前半の頃、とにかく日本がきらいで、日本から脱出したいと思っていた。とくに、窮屈な人間関係が嫌だった。  たとえば、日本では少し年上の相手にも敬語で話さなければならない。アメリカなどの英語圏では、お互いにファーストネームで呼び合って気軽に話しているように見えるのに、日本人のコミュニケーションはまるでかたっ苦しく、息が詰まるようなものに思えたのだ。 自衛隊を除隊したあと、ほかの公務員を目指していたこともあったが、2012年のある日、わたしは単身渡仏して“フランス外人部隊(

            わたしは外食がほとんどできない

            2021年秋より、突然不眠症になって一睡もできない日々が続いてから、わたしは生活の全体を変えようとしてきた。とくに気をつけるようになったのが、食事と食生活である。 わたしはこの一年以上にわたり、食生活を継続的に変えようとしてきた結果、外食はほとんどできなくなった。  自分のなかで禁止してる食物というものがあって、たとえば、ハンバーガー、ステーキや焼肉、揚げ物はダメ。以前ならよく利用していた松屋や吉野家といった牛丼もダメ。ラーメンは微妙。  許容して食べられるのは、一部の中華

            老人ホーム、高齢者に一日3食も必要ですか?

            わたしたちの習慣として、小さい頃から一日に3食たべることが当たり前になっている。それは分かるんだけど、3食たべること、食べさせることは、施設で暮らす高齢者にとってはとりわけ負担になっているように思う。もちろん、職員にとっても負担は大きい。 ベッドから離床の介助をして、カーディガンを着せて身支度をととのえ、フロアで食事の準備、配膳、介助、下膳、洗い物とつづき、口腔ケア、トイレ誘導、また臥床させる……。これが老人ホームにおける介護職のおなじみのルーティーンになっている。これを日