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草履片々、木履片々

今日のおすすめの一冊は、堀江貴文氏の『将来の夢なんか、いま叶えろ。』(実務教育出版)です。その中から「ファーストペンギンこそ最強の生き方」という題でブログを書きました。
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堀江貴文さんの言葉「自分には力が足りないから、経験がないからと、立ち止まっている人があまりにも多い。力がないからこそ、まずは走り出せ!と僕はいいたい」。この言葉で、思い出した話があります。それは豊臣秀吉の「中国大返し」です。

火坂雅志氏の『武士の一言』(朝日新聞出版)より

【草履片々、木履片々】(黒田官兵衛)《片足に草履、片足に木履(げた)を履(は)いた不完全な状態でも、人には走りださねばならない時がある。》 織田信長から毛利攻めの司令官を命じられた秀吉は、次々と城を落とし、最後に備中高松城を囲んだ。その秀吉の軍師として、史上稀(ま)れな水攻めを仕掛けたのが黒田官兵衛である。
高松城は本丸のみを残して水中に没し、落城は時間の問題だった。そんなとき、羽柴陣に、「京本能寺で信長横死(おうし)」という、驚天動地(きょうてんどうち)の知らせが飛び込んできた。秀吉は度を失った。なんといっても信長は、草履取りだったおのれを、織田家重臣のひとりにまで引き上げてくれた絶対的な存在である。
秀吉は戸惑い、途方もない喪失感に襲われた。ふと気づけば、自分たちは敵地の奥深く取り残されている。上方の変事が毛利陣につたわれば、相手は講話に応じるどころか、かさにかかって攻めかかってくるだろう。滅びの予感が、秀吉の胸に潮のように押し寄せた。そのとき…「あなたさまに、ご運が向いてこられましたな」大きなまなこを底光りさせ、秀吉の耳元でささやく男がいた。黒田官兵衛である。
「これは危機ではござりませぬ。むしろ天が下された千載一遇(せんざいいちぐう)の好機と考えるべきです」官兵衛は秀吉に向って言った「草履片々(ぞうりかたがた)、木履片々(ぼくりかたがた)」人は慌てていると、片方の足に草履、もう一方の足に木履を履くなどという、とんでもない間違いをおかす。普通であれば、走りにくいことこのうえないが、それでもなお、人には走りださねばならない瞬間がある。それを、まだ時が至らぬからと一瞬でも躊躇(ちゅうちょ)していると、潮はたちまち引いていってしまう。

この強行軍のことを「中国大返し」といいます。10日間で総勢2.5万人が、約200キロを駆け抜けるという日本史上に残る伝説の大強行軍です。兵の腰に握り飯と味噌をつけさせ、食べながら走ったという、世にいう「走りめし」です。

また、沿道の農家や民家にむすびや、味噌、赤飯などを山のように用意させ、それを時価の倍以上の値段で買いあげ、走り抜ける兵たちに補給したといいます。今でいうマラソンの給水所のようなものですね。また、重い鎧や荷物などは、荷駄で別送し、兵たちは身軽な格好だったからこそ長距離を走れたともいいます。

この「草履片々、木履片々」という言葉、今でもぜんぜん色あせていません。今も昔も、まずとりあえず「走り出す事」、本当に大事だと思います。

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