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「北野天満宮 信仰と名宝」を観に行ってきた

都を間違えたんですよ、というのは私の鉄板ネタである。
大学受験のときは歴史を学ぼうと考えていて、好きな時代は平安時代。
進学したのは奈良の大学。
平安京に行くべきだったのに、平城京に行ってしまった。

結論をいうと、私は歴史学をちっとも学ばなかったし、奈良のことが大好きになって、今は奈良に住んでいる。
それでも、思春期に心動かされたのは、平安時代だった。

きっかけは、高校二年生のとき、『大鏡』で描かれた人間模様に触れたこと。ウィットに富んだ会話をしているかと思えば、肝試しで大騒ぎをしたり……もちろん創作の部分が多いのだろうが、実在の人物が描かれていると思うとわくわくした。
なかでも菅原道真公は、その人物像も人生も、とりわけ惹かれる存在であった。「菅原道真の左遷」の部分を読みながら、あまりの苦しさに悶えたのを今でも覚えている。
青春真っ只中のはずの私は、菅原道真公に想いを馳せながら、北野天満宮のお守りをポケットの中で握りしめて受験に臨んだ。もう片方のポケットには春日大社のお守りを持って、闘いを起こすことによって力を借りるのだ、なんてよく分からないこともした。
もっとも、それは奈良にある大学の試験だったのだけれども。

青い春から、十年近くもの時が過ぎた。
京都文化博物館で開催された「北野天満宮 信仰と名宝」。
普段は美術館・博物館にあまり行かないが、どうしてもこれだけは観に行きたいと思った。
天神さんの源流というサブタイトルからも分かるように、菅原道真ならびに北野天満宮を中心とした展示が組まれている。行くしかない。

人気ゲーム『刀剣乱舞』に北野天満宮に所縁のある刀が登場するらしく、音声ガイドはその刀を演じた声優さんによるものだった。刀剣クラスタじゃなくて道真クラスタなんです!と心の中で叫びながら、一度は音声ガイドの貸し出しコーナーをスルー。

入って最初、『菅家文草』を目にしたとき、ぶわっと目頭が熱くなった。
なんだ、なんだこれは。
最近忘れていた「尊い」という感情が、溢れてあふれて止まらなくなった。
道真公のことはずっと好きだった。日常生活に追われていて、少し遠い存在になってしまっていたのに。離れていた月日を吹っ飛ばして、私は高校二年生に戻った気持ちで立ち尽くしていた。
そしてあっさりと、音声ガイドのコーナーに戻る。結果的には大満足。

展示に関しては、特に前半部分で胸が高鳴りまくっていた。
「寛平御遺誡」という、宇多天皇が息子の醍醐天皇に譲位するときに、その心得を記したものがある。その一説が胸を打つ。

惣すべて言へば、菅原朝臣は、朕が忠臣に非あらず、新君が功臣ならんや

道真は私(=宇多天皇)の忠臣ではなく、新帝(=醍醐天皇)の功ある臣下である、だなんて! 主従の間にある信頼関係もろもろを想って泣く。
他にも道真が11歳のときに詠んだ句が美しくて泣いたり、そこに梅の花が登場してもっと涙ぐんだりした。かなり怪しい人だったと思う。

普段、展示を観に行ってもさらっと通って終わってしまうことが多い。
終わって心に残るポイントは少なく、何年か経つと忘れてしまう。
今回はひとつひとつが、自分にとっては濃い体験だった。夢中になって教科書を読み漁った日々がよみがえって、まだ自分にエネルギーがあるのだと実感できたのが嬉しかった。
絶対に行くとか言っていたわりに、会期終了一週間前まで行かずじまいだったことは後悔している。でも、行ってよかった。

誰が何と言おうと、菅原道真公が好きだ。
新元号に梅がうたわれていたり、大宰府が注目を集めたりしているこの頃。
私の中で咲いている梅は、いつだって「東風吹かば」の梅なのだ。
もう青くもない、春の話。