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最後の花火@海士町

皆さんは、「夏」と聞いてどんな曲を思い浮かべるだろうか?

僕は、フジファブリックというバンドの「若者のすべて」という曲をあげる。

曲について詳しくは語らないので、是非聴いてもらいたいが、海士町で過ごした8月24日はこの曲を体現するような1日だった。

キンニャモニャ祭り

海士町の8月最終土曜日は、毎年「キンニャモニャ祭り」という島最大のお祭りが行われる。

このお祭りは、海士町の古くから伝わるキンニャモニャという民謡を、しゃもじを持って踊ってパレードをするというもの。

それぞれの地区や団体でチームを組み、踊りを審査される。

因みに、海士町の夕方5時のチャイムはキンニャモニャである。

まさかの〇装!!?

僕の地区では、毎年、様々な仮装をして賞を狙っている。

そんなこともつゆ知らず、「鈴木くんは、みんなより2時間早く来てー!」とだけ伝えられ、怪しい雰囲気を感じつつも、衣装をもらいに公民館に向かう。

公民館には、地区の人々が集まり何やら笑いあっている。

「どんな衣装、着るんですかー?」と聞くと、
「君は女装やで!」と言われる。

「女装ですか!!?」
「そうや。化粧するから、つべこべ言わずはよ座り!」

生まれて初めての経験だった。
変身願望はあるけど、もっとなんというか、ちゃんと気持ちを整えてから臨みたかった。

というか、色んな人に見られることが恥ずかしい。なぜ、女装なのか。

有無を言わさずに、椅子に座らされ、おしろいをたっぷりと塗られていく。

「若いっていいわねー、化粧のノリが全然違うもの」

お婆ちゃん達による肌年齢の品評会に耐えていたら、窓に映る僕の顔はどんどん犬神家のスケキヨのようになっていった。

化粧も終わり衣装も着替えたら、続々と地区のメンバーが集まってくる。
僕以外にもたくさんの人が奇抜なメイクを施している。まるで、歌舞伎役者の楽屋ようだ。

そんな光景を見ていたら、もう、恥ずかしいなんて気持ちは無くなった。
あとは、精一杯踊れるようにと、ビールを一気に飲んで会場行きのバスに乗り込んだ。

(本番前、吹っ切れて踊る僕)

いざ、本番!

直前まで、振り付けを何度も確認する。
踊る人はたくさんいて、リラックスして楽しめばいいよーって言ってくれるけど、やっぱり本番は緊張するものだ。

海士町の凄いところでもあるのだが、
こんなよそ者を女装してるからという理由で、チームの最前列で踊らせてくれた。
他にも「飛び入り」というチームがあり、観光客でも島の人でも、誰でも飛び入り参加して踊れるチームなど、本当に外の人を受け入れてくれる文化がある。

5秒前のカウントダウンを会場のみんなで唱え、6時10分。キンニャモニャパレードは始まった。

響き渡るしゃもじを叩く音。
意味は全然わからない「キクラゲチャカポン持ってこいよ」という掛け声。
真剣に踊ってすれ違っていく町の人々。

こんな情景、島でしか感じられないなと思いながら、僕は踊る。

40分間、ひたすら踊り続ける。
途中、疲れてどうにも休みたくなるけど、終わった時の達成感は格別だった。

そして、僕たちの地区は無事に?ユーモア賞を取ることができた。

祭りの最後は、なおらい

踊ったあとは、地区ごとの飲み会(島の言葉では「なおらい」)が行われる。

酒を飲み、飯を食い、島の人と話す。
港の岸壁に敷いたブルーシートは、このあと行われる花火を見るには絶好のスポット。

なおらいが、盛り上がって数十分。満を持して、花火大会は始まった。

港から見える船から、次々と打ち上がる花火。
あまりに近いので、鼓膜に振動がガツンと伝わってくるし、火薬の匂いすら飛んでくる。   

ふと感じる風に、秋が混じっていることに気づく。
自分が、海士町に来て1ヶ月半の間に、こっそり季節は変わろうとしていた。

「暮らす」と「滞在する」の違いは、季節の変化を感じることかもしれない。
複数の季節を感じ取ることを、その地域で暮らすと呼べるのかもしれない。

海士町で暮らしてみて、本当に色んなことがあった。
毎日イベントがあり、出会いがあり、いろんな思い出ができた夏だった。

「海士に来て良かった」と、心から思えた日々だった。

そして、同時にもう自分は若くない。
若者と呼べる最後の世代に入って来ていることを実感した。

日々、一瞬一瞬を大事にしたい。そんなことを思わせる花火だった。

夏の盛り上がりを惜しむように、花火はラストスパートに向かう。
怒涛の連発と、ナイアガラの滝を終え、大き拍手が鳴り響いた。

海士町の夜はまだ終わらない。

なおらいの後は、DJイベントに行ったり、知り合いの家で飲み会をしたり、星を見ながら海辺を歩いて帰ったりしていたら、帰宅は深夜2時となっていた。

海士の1日はいつも長いが、今日は格別に長かった。
きっと、今日の日のことを、何年経っても思い出してしまうだろうな。

フジファブリック/若者のすべて
真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて 

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

世界の約束を知って それなりになって また戻って
街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きをとり戻したくなって

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな
最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

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