「大丈夫」の処方箋がまた一つ増えた 〜season2〜
2022年12月14日、予定通り再び入院となった。今回は肝胆脾外科。
総胆管でつまっている大きな胆石を取り出す手術をするためだ。
ちなみにどれだけ大きい胆石なのかというと、1年に一度、見ることができるかできないかくらい大きい代物。先生曰く、めったとない大きさだそうな。
そういった事情で一般的である、数cmだけの傷で済む腹腔鏡手術では無理とのこと。みぞおちから下へ20cmほどお腹をぱっくり開けての手術を受けることになった。
入院当日は、先生や看護師さんが入れ代わり立ち代わり来られて、手術の説明を受けた。聞けば聞くほどこわい・・・。
誰よりも痛いのが嫌な私が一番気がかりなのは、手術後の痛みがいったいどれほどのものなのかである。
先生に聞いてみた。
「手術の後はいたいですか?」
先生はちょっと申し訳なさそうに、そして優しく答えてくださった。
「痛くない手術はないので・・・はい。でも、2、3日もしたら治まってくるでしょう。でも岸田さんはあんなに大きな心臓の手術を2回も乗り越えられてるんですから、それにくらべたら今回はぜんぜん大丈夫ですよ」
そっか、14年前の大動脈解離、そして昨年の感染性心内膜炎の手術を乗り越えてるんだから私。そうよ、大丈夫に決まってるんだわ。
辛い、悲しい、痛いなどなど、大変な経験は、ないほうがいいに決まってる。けれども、辛くて悲しくて大変で痛い経験は私に「大丈夫」をたくさん教えてくれた。
そう考えると、過去のすべての経験は全部よかった、そう思える。
今回もきっと大丈夫。
過去の経験が、私の気持ちをすーっと楽にしてくれた。
あかげで夜もぐっすり眠れたし、あっという間に朝がきた。
予定通り朝の9時半に手術室に行った。
これまではストレッチャーに乗せられて寝たままの移動だったけど、今回は初めて車いすに座って自分でこいで行った。
ぜんぜん元気で、これから手術だという実感があまりなかった。
寝たままでの移動は天井くらいで周りの景色がよく見えない。
でも今回はいつもの移動で景色はよく見える。
せっかくだから手術室をしっかり見ておきたいと思った。
テレビドラマでよく見るのと一緒かな・・・なんて、ここまではまだ余裕である。
手術台に乗った途端、点滴がはじまり、色んなものが体に装着され、一気に現実味が湧いてきた。一気に余裕はなくなった。
麻酔科の先生に、
「これから徐々に眠くなりますよ。起きたら手術が終わってるので、安心してくださいね」
と言われたので、返事をした。
「は・・・ぃ・・・」
次に聞こえてきたのは、
「岸田さん、無事に終わりましたよ」
約4時間。大きな胆石が厄介な場所にあったゆえ、難しい手術と聞かされていたので、無事に終わりましたよという声は、うつろな意識の中でもとても嬉しかった。
痛い・・・
麻酔が覚めてきたら、手術の傷とドレーンの痛みが激しすぎて1mmも体を動かせない。息をするだけで痛い。痛い。泣きたい。
点滴でかなりきつめの痛み止めを入れてもらったが、今度はその薬の副作用で吐き気が。点滴をやめると激痛がと、術後2日間は痛みとの戦いで地獄の日々。
痛くて右も左も向けず、体を起こすこともできず。
私は胸から下が麻痺をしているので、痛みを逃がす姿勢がとれず、余計に体を動かせなくなるのです。歩けないということを今更、再び思い知らされてダブルパンチをあびた。
3日めにはとうとう精神的ダメージを受けてしまい、眠れず食べられず、涙が溢れて動悸まで。もうだめだー。
3日間、痛みで全く体を動かせず、ベッドに寝たきり。
天井かテレビしか見ていない。
そりゃ楽しいことなんて想像できないし、全部悪い方へと考えてしまう。
痛みに集中するばかり。あっという間に病んでいくのが自分でわかった。
もういやだー!
助けてーー!
まだすごく痛かった。けれど、痛みよりも辛い落ち込んだ苦しい気持ちを立て直したかった。なんでもいいから気持ちを前に向かせたかった。
意を決して看護師さんにお願いした。
「車いすに座らせてください」
「岸田さん!やってみましょう!その勇気、素晴らしいです!」
痛い痛いという私の体をしっかり支えていただき、車いすに座らせてくれた。
座れた!!!!!!!!!!
痛いけど、それよりも座れたこと、いや、座ってみようと勇気をだせたことが何よりも嬉しかった。
「岸田さん、よかったねー!すごい!すごい!」
寝て見る景色と、座って見る景色がこんなにも違うんだ。
痛いながらも、辛い状況を乗り越えるために一歩踏み出す勇気を出せたことは、私にとって大きな意味があった。
そしてそのチャレンジが成功したという達成感は、想像以上に大きくて、状況は変わっていない目の前の私の世界がぱっと明るくなった。自分でも驚いた。
これからしばらく痛みとの戦いが続くけど、なにがあってもきっと大丈夫になる!がんばれる!そんなふうに思えたことがすごく嬉しかった。
とても嬉しかった。
そして、自分のことのように喜んでくださる看護師さんは天使だった。
こんなに親身になって私のことを信じて応援してくれる人が近くにいる。私は一人じゃないんだと思えたことは間違いなく頑張れた理由だ。
しかしながら、傷の炎症もあり、痛みはまだまだ続くこと2週間。
ほぼ寝たきりのダメージは思ったより大きかった。
今まで当たり前にできていた車いすへの移乗は全くできなくなり、落とした物も拾えない。足を持ち上げて靴も履けない、服も自分で着られない。
腹筋背筋がきかないうえに、それをカバーしてくれてた腕の筋力もすっかり落ちてしまった。そこに痛みも加わって、今までできていたことがまるっきしできなくなってしまった。
予定では年内に退院のはずが、傷の炎症と、あまりにも何もできなくなってしまったという私の体調が原因で、年末年始も入院が決定。
元気になって、家族そろって楽しい年末年始を過ごす計画もたくさんたてていたのに・・・。
落ち込んだ。痛いし動けないし。帰れないし。
思いっきり落ち込んだ。
娘にそのことを話すと、一緒に落ち込んでくれた。
「それはしゃーない。元気になって帰って来るのが一番やから。もうちょっとの我慢や。がんばれー!」
一生懸命に励ましてくれた。
すごく救われたけど、申し訳なさすぎてまた悲しくなった。
穴を掘って自らどん底に落ち込んだ。
そうしたら、いつの間にか開き直ったその勢いからか、スイッチが切り替わった。こうなったら仕方ない。なにか楽しめることないかな???
意外と簡単に自分を前に向かせる方法が思い浮かんだ。
年末年始を病室で過ごすということは、しなきゃいけない用事もなく、家事も仕事もしなくていいってこと。すなわち暇な、贅沢な時間がたくさんあるということで。
罪悪感なく上げ膳据え膳。テレビに韓ドラ見放題。
娘や息子、友達とも長電話だってできる。
差し入れの美味しいお菓子やコーヒーだっていっぱいある。
時間はいっぱいある。しかも暇な時間。
贅沢。
どうせ帰れず、病室にいるのなら、できる限り楽しく過ごそう!
さすが長期入院を何度も経験してる、入院のプロともいえる私です。
楽しむ方法、実は簡単に見つけられるのが私でした。特技。
そんなことを考えていたら、病院食を作る厨房の工事で数日間、ホテルの食事が出てきたり。
大晦日の病院食は大きな海老天がのった年越しそばだったし、元旦の朝はおせち料理だった。
美味しかった。
それに、人生初の初日の出まで見れた。
自然の偉大なる美しさに、勇気と大きな力をもらった。
感動した。
年末年始に帰れなくて病院で過ごすことにあんなに落ち込んでいたのに、思ったよりもずっとたくさん良いことがあった。
人生でいったい何度めだろう?ここでも感じた、
「案ずるより産むがやすし」
困ったなぁ・・・、どうしようか・・・と悩む度に、ちょっとでも楽しいほうを選んでを繰り返し、心も体も元気に1月6日、晴れて退院の日を迎えた。
娘が朝イチで迎えにきてくれた。
いつものように、入院の時よりはるかに増えた荷物をあっという間に手際よくまとめて両方の肩にかけて、
「さっ!帰るで!」
「先に会計は済ませてきたしな」
慣れた感じで私の車いすまで押しながら病室を出る娘もまた、母の入退院に付き合うプロだと思った。
体力・筋力がすっかり落ちてしまい、自信もなくしつつある私でしたが、入院のプロ、特技は退院である私ですから。
帰ってからだってなんとかなるさ、きっと大丈夫。
痛くて辛かった長い入院も、結局、終わってみれば良いこともたくさんあったし。
これからもきっと大丈夫。
帰りのタクシーで呪文のように自分に言い聞かせていた。
大丈夫、大丈夫って。
それにしても、3週間ぶりの外の空気。冷たくて寒くてビックリした。
生きてるー!って思った。
この続きは「season3」でまた書きます。
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