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「信じて頼る」世界…行き着いた先は

周りの人を信じること、頼むこと、委ねること…
自分と全く違う存在にそんな風に心を開いてサポートしてもらうのは、
博打のようだし、不確定で、危ないことだ。
慎重に相手を見定めて、信用できるか判断しよう


…ではなくて


私の世界に出現する人たちは、”私の”世界の中の人たちだ。
現実とは、私の内的世界が外的世界に映し出されているだけ。
私という小宇宙が、この世界という宇宙とリンクしている。

ならば、現実で私の前に現れた人たちを信じて頼ることは、
”この世界を創り出している私自身を信じる”ということそのものだ。
その人たちはみんな、私の世界の中の人たちだから。
私の内的世界が映し出されたものだから。

【私のもとにやってくる人・物・環境・状況は、すべて愛がベースで、必要でやってきている】
そう私が設定していれば、私はそういう世界の住人だ。


むしろ、現実の”三次元の中で思考しただけのこと”ほど、
本質的に不確定なことはない。
それこそ、冒頭で言った博打かもしれない。

思考で想像した通り、という意味での確実性は、確かにない。
思っていたものとは違うかもしれない。

でも、それでいい。それがいい。

思い浮かんだことよりも、もっともっと私に適していることが、やってくるだけ。
それはもう、三次元の私には思いもよらない範疇からやってくる。


そう。人に頼っていいよね、と思っていたら、
もっともっと大きな存在にたどり着いたんだ。
そして、決めた。

私は、宇宙を信じる。私という小宇宙を信じる。

どこから何がやってきたっていい。
驚いたり、戸惑ったりするかもしれない。
もしかしたら大きな変化の中で、一瞬何かを失ったように感じて、
悲しくなることもあるかもしれない。

でも、それは絶対私にとって素晴らしいものだから。
私が思いつくものの何百倍も私を幸せにしてくれるもの。


ずっと
「とっても素晴らしいものを準備中だよ」
「あなたがそれに対して直接するべきことはない、だから待っていてね」
「未来が見えなくてもいい。明るすぎて見えないだけ」
「見えないことが正解だよ。あなたが三次元でどうこうするものじゃないから」
そんなメッセージが来ていた。

半ば嬉しく、半ば??とメッセージを受け止めつつ、
その中でどうしても、あれこれ道を探して、
頑張って動こうとしてしまう自分もいたんだよね。


昔から不思議なことが好きで、興味津々で、心惹かれていた。
ただ、なかなかこの地球で、この世界で、
どっぷりそこに入っていけない自分がいた。
三次元的に楽しむことを忘れたくなかったのもあって、怖かったから。

でも、今はとても心地がいいし、ナチュラルにそういった世界観
(いわゆるスピリチュアルというのかもしれない)を選びとっている。
とてもとてもシンプルなことで、愛に溢れていて、
怖いことなんかじゃなかったから。

外側のすべてと内側のすべてがリンクしているのだから、
宇宙を信じるっていうのは、私のすベてを信じるのとイコールだ。


先日「もう十分だよ。この世界の全てを信じていいんだよ。いよいよ本当に心を開いて、頼ってね。」というメッセージを受け取った。
大きな愛に包み込まれたような感じがして、不思議な気持ちになって、大泣きした。

ありがとう。楽しみだなぁ。
3ヶ月後、半年後、1年後、どうなっているかわからない。
でも、ゆったりと、朗らかに、満たされて、笑顔で過ごしていると思う。

今やりたいことを素直にやって、
今の心地よさを大事に過ごしていよう。
気持ちのいい場所で、お茶を飲みながら、リラックスしているような気分で。


hiromi.

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