「死ぬ」か「相談する」かしか、自分には選択肢がないって言われた時の衝撃を、生涯忘れることができないと思う。
日本広しといえども、ホームレス支援を仕事にしている人はあまり多くはないと思います。小さなNPO職員のストーリーを今日はお届けします。
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わたしは12歳の時に、ひょんなご縁で大阪市西成区にいるホームレスのおっちゃんたちにおにぎりを配ることになりました。近所の公園で見かけたことはあっても、その時まで話したことなんてなくて。
おにぎりを待つ行列は、ざっと300人。人気商品の購入待ちに、勝るとも劣らない大行列。度肝を抜かれました。「え、こんなに人がいるの?」と驚いたことを今でも鮮明に覚えています。
「怒られないかな…」
「ホームレスの人ってどんな人なんだろう…」
強張りながら、おにぎりを手渡しました。
「ありがとうね〜」
お礼を言われてしまったのです。予想外でした。
会話のキャッチボールができて。
にかって笑いながらお礼を言う人がいて。
「なんでこの人たちは路上で生活してるんだろう?」
世間を知らない中学生になりたてのわたしは、ふつふつと湧いてきた疑問の答えを知りたくて、本を読み漁りました。
ホームレス(homeless)は人を指す言葉でなく、状態を指す言葉。
ホームレスになってしまった人たちの多くは失業、住居喪失、病気、家族関係の悪化など複数の要因が重なってしまい、社会のセーフティネットからこぼれ落ち、路上に行くことに。
12歳の少女にわかることはこれぐらいで。
ただひとつ、わたしがその時思ったのは、「自ら望んでホームレス状態になった人ってほとんどいないんじゃないの?」ってことでした。
それからおっちゃんたちのことがどんどん気になって。
知れば知るほど、望んでないのにホームレスになっちゃう社会なんて真っ平御免だって思うようになって。
中高は炊き出しのボランティアに行って、大学では貧困問題を学ぶ勉強会を先生巻き込んで一緒にして。気がついたらホームレス支援をするNPOに関わるようになってもうすぐ10年。ホームレス問題にかかわるようになって、あっという間に15年。
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数年前までは、わたしが炊き出しで会っていたような50代~60代くらいのおっちゃんに会うことばかりだったんです。でもここ最近、10~30代の相談者が急増していて。わたしと年齢の変わらない20代の女性にもたくさん会います。
この前19歳の相談に来てくれた男の子に聞いてみたんです。「どうして相談に来たの?」って。
そしたら、「『死ぬ』か『相談する』しか選択肢が自分にはなかったんです」って返ってきて。
金だらいが頭に落ちてきて、たんこぶができるくらいならよかったんだけど。あどけなさの残る10代の男の子の口から、鋭いナイフみたいな言葉が返ってくるって思ってなくて。
心臓のど真ん中をひと突きされてしまったようで、それからずーっとその言葉のナイフを抜くことができないんです。
ナイフに染み込んでいた不思議な物体は、ヘモグロビンと一緒になってわたしの身体中を今も駆け巡っています。だからこんな風に言葉にしてしまうのです。
おかげで、途轍もなくかなしくなります。枕詞みたいによく「未来ある」と言われている若者が、「死ぬか相談するしかない」なんて言葉を使う社会が私の眼の前に広がっていることが。
しかもその相談相手が、行政でも、家族でも、友だちでもなく、NPOしかないなんて。(ひとつでも相談できる場所があることは、途方もない希望だとも思うんだけれど。それでもやっぱりかなしいのです。)
やっぱりわたしは望んでいないのにホームレスになっちゃう社会なんて、真っ平御免だなって。
やり直したいって思った時にやり直せる社会をつくりたいから、わたしはここで働いているんだろうなと、改めて思わせてくれた彼に心から感謝したいです。彼の未来があかるく照らされることを心から願っています。
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厳冬期がやってきます。激増する相談者にていねいに対応をしていくために、わたしが働く認定NPO法人Homedoorでは冬募金を実施しています。よければ応援していただけると、本当に嬉しいです。
noteでお仕事の話をがっつり書いたのは、はじめてですね。たまにはこんな感じで、ホームレス問題にも触れていきたいなと思っています。よければお付き合いください。
普段の自分ならしないことに、サポートの費用は使いたいと思います。新しい選択肢があると、人生に大きな余白が生まれる気がします。