ホームレス問題に関わる人がパラサイトを見た感想。
やっと見に行けました、パラサイト。パルムドール賞を取る前からずっと見たかったのですが、なかなかうまく時間を作れず。見れてよかった。
先日テレビにもよく出演されている朴一先生とトークセッションする機会をいただいたのですが、その時に朴先生自身も半地下に住んでいたことがあるという話をしていました。
韓国では第一の定年が45歳だと言われており、その後仕事がなくなるとコンビニやチキン屋、台湾カステラ屋を経営をする人が多いのだとか。パラサイトに登場するギテク(父)もチキン屋経営に失敗したといっていたので納得です。
そういった情報を少し聞き齧って、映画を見てみました。
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階段の使い方。光と影のコントラスト。心の機微を水をつかって表現する力。愛の描き方。細部に宿るこだわりがすごい。
富裕層の家は、坂道の上にあり、家に入るために階段があり、中にもまた階段がある、どこまでも光と緑の多い空間。半地下の家は、坂道の下にあり、地上よりも下に家があるため光はほとんど入らない。
半地下暮らしの人たちが、富裕層の家にパラサイト(寄生)してみるも嘘で塗り固められた生活は長くは続かない。豪華絢爛なパラサイトライフの足を引っ張る人は半地下ではなく地下にいる人だったわけで、物理的な階層がさらに下の人がいるというもの話のつくりとして面白い。
地下には光は一切ないけれど、モールス信号を使い光でSOSを送る様子も、なんともアイロニックだなと。
面白いなと思ったのは、地上で暮らそうが地下で暮らそうが、愛と性に貴賎はないというメッセージの発信の仕方。地下で暮らす人の寝床脇に置かれた未使用のコンドームと使用済みの袋が串刺しにされてすべて残されていたシーン。
あれを見た時に、わたしの頭の中でリンクするものがあった。ホームレスのおっちゃんOさんの小屋に遊びに行ったときのこと。
アルミ缶集めをしているOさんは、いつもその売り上げが書かれた伝票を全部クリップで留めていた。捨てずに大事に保管していたのだ。Oさんにとって伝票の束は、働いた象徴であり社会とのつながりの証なんだと思った。
地下で暮らす人のそれはきっと、積み重ねてきた愛の象徴であり相手とのつながりの証なんだと思わずにはいられなかった。
映画の中で、場面が大きく動くキーになったのは臭いだった。染み付いた臭いは本人にはなかなかわからないもの。半地下暮らしのギテクについて「働きぶりは素晴らしいが臭いが・・・」と話す富裕層ドンイク。それを聞いてから自分の臭いが気になって仕方がないギテク。
またもわたしは思い出す。夜回りで会ったある人が、なんども濡らしたタオルで体を拭いていたときのことを。シャワーを浴びれないからと、執拗なほど体を擦っていた。
ドンイクが地下の住人の臭いに顔を歪めた瞬間に、半地下で暮らす人間としてのギテクの屈辱が限界を迎えたのは、あまりにも悲しかった。ここでも串刺しが登場したのは、きっと監督の思いがあったのだろうなあ。
どう頑張っても報われない人がこの社会にいるということが最後の手紙で伝わってきたけど、半地下暮らしのギウが「僕はここ(富裕層の集まり)に合っているのかな?」という質問に対して、富裕層の娘ダヘ(高校生)がきょとんとしていたことは、もしかしたら次世代への希望が込められているんじゃないかなと思った。
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映画館からの帰り、今朝読んだ本に書いてあった言葉を思い出してなんだか切なくなりました。
きっと光は世界にではなく、人の心にあるのだろう。
韓国にはトイレより下の光の当たらない場所で暮らす人がいます。日本にも家を失わざるをえない人が多くいます。それでも心に光を抱くことができれば、未来はあかるく拓けるのでしょうか。
いろんなことを考えさせられた2時間でした。
普段の自分ならしないことに、サポートの費用は使いたいと思います。新しい選択肢があると、人生に大きな余白が生まれる気がします。