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「宇宙旅行」その3 松尾浩一 作

  今から、35年前、私が18歳だった時に、私は、高校を卒業した後、働きながら、大学に進学する道を選んだ。私の家庭は、当時は、足の悪い実妹と二人暮らしで、私が、大黒柱として、家計を支えなければならなかったため、そのような道を選ばざるを得なかったのだが、私が、働きながらでも大学進学を望んだのは、私には、教職に就くという、夢があったからであった。

 しかし、その夢は、高校卒業と同時に、ある意味、叶ってしまった。私が就職したのは、教育職公務員として、養護学校に就職先が決まったからであった。

 そして、その後、9年間の養護学校勤務の後に、普通高校に異動して、トータルで、約13年間、教育職公務員として勤務したのであるが、私は、自分自身が、教員として、普通高校の生徒たちに、教科だけではなく、一般社会について教えるということが、私には、一般社会人としての経験が全くないために、非常に難しく感じたため、公務員、教員としてではなく、普通の一般の社会人としての経験を積みたいと、思い始めたことをきっかけとして、教職を辞めるに至り、一般社会に出ることにしたのだ。

 しかし、一般社会に、いざ出てみると、職場での人間関係に、非常に、思い悩むことが多くなってしまったのである。その理由は、私には、学歴があるために、それに嫉妬されて、会社の上司からのイジメを受けることが、非常に多くなったからであった。

 特に、私は、教員を辞めてからは、建物設備管理の仕事を目指して、資格取得に励んだのであるが、設備管理の会社においては、高卒の現場上司が多くいたため、それが顕著だったのだと思う。

 私が最初に入社した設備管理会社は、大手の三菱地所関係の会社で、地域冷暖房の会社の下請けの会社であったが、その初めの配属先で、まず、イジメの洗礼を受けることになった。 

 地域冷暖房の会社に配属先が決まり、その現場でのイジメは、私に、仕事上でのミスをわざとさせるような指導を上司が行うという、特に陰湿なイジメであった。

 入社してから、すぐに、そのイジメの洗礼は始まった。

 私は、当時、二級ボイラー技士資格を取得したばかりで、設備管理の会社に就職したのだが、ボイラーの操作については、全くの素人だったため、現場での指導を受けて、ボイラーの操作をきちんと覚えるつもりでいたのだ。

 しかし、ボイラーの操作で、その会社の上司は、わざと、私が、事故を起こすように仕向けて、間違ったボイラー操作を指導され続けたのである。

 しかし、私は、それでも、我慢して、6ヶ月間は、そのイジメに耐えながら、その現場での仕事を続けた。

 しかし、所属会社の部長が、その私に対する現場上司からのイジメに気づくはずもなく、約6ヶ月後に、私は、所属会社の部長から、その地域冷暖房会社の現場から外されるに至っただけであった。

 私は、その現場上司からの陰湿なイジメがあったことは、誰にも言うことはなかったが、現場のもう一人の上司が、それに気づいていたらしく、私が現場を後にした後に、現場の所長にイジメの事実を報告してくれたことが、唯一の救いだった。

 そして、その会社を後にすることになった日に、現場の所長から、帰りに、有楽町にあるステーキハウスに呼ばれて、その所長からご馳走になった、本当に格別に美味かったハンバーグステーキの味だけは、決して一生涯、忘れることはないと思う。

 その地域冷暖房会社の現場から外された私は、電気工事士の資格取得のために、職業訓練校に行くことを希望し、会社からの退職勧奨によって、その所属していた設備管理会社を後にすることになった。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 


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