今年は思いのほか秋が

今年は思いのほか秋が長い。わたしは夫がふたりいる生活をしているのだが、この長い秋のあいだに夫ふたりは話し合いをつづけ、ある取り決めをしていたらしい。この秋が終わる頃に家族三人で動物を飼って暮らすという取り決めだ。ふたりから話を聞いたときには、どの動物を飼うかということや、段取りなどすべて夫ふたりで済ませていた。

飼う前に一度だけ、夫たちに連れられてその動物に会いに行った。金色の毛をもつ、小さな、美しいいきものだった。手続きの関係で、秋が終わる頃までこの一度しか会う機会がないという。

わたしは動物と暮らすのははじめてだ。言葉の通じない、生き方やルールの違ういきものとどうやって一緒に生活していくのがいいのか、動物と別れてから細かなことが日々気になってくる。

わたしたちはそれぞれの生活時間が違うため、一日顔を合わせないこともある。機会をつかまえてはどちらかの夫に自分が気になることを質問しつづけ、秋が過ぎた。

一度会ったときのその動物の、わたしの顔を貫いてもっと向こうを見るような目がずっと心にのこっていた。おそれているような、こちらをはかっているような、でも人間の抱く感情や感覚とは違う摂理のなかで生きているものだから、やっぱり何を思ってこちらを見ているのか、自分にとっては謎ばかり残す目だった。

秋が終わる頃、洗面所の前で夫たちと居合わせた朝があった。霧のような雨が降った翌日の朝で、わたしたち三人は少しうすあおい空気に染められて立っていた。

何年も一緒に暮らしてきて、よく知っているはずの夫たちの顔が以前とは違う顔に見えて仕方なかった。あの動物のことがずっと頭にあるからか、その動物と同じ種類のいきものに見える。

ああ、あなたはそんなところにひげがあったんだ。そんな目の色をしていたんだ。そんなわからない表情をするんだ。「おはよう」とふたりは別々の声で、別々のタイミングで言う。どこから声を出しているの。何を言っているの。言葉の意味はわかるし、ただの習慣になっている応答をしたあと、今した自分の応答がぜんぜん通じ合っていない、こっけいな応答だということに気付く。今やりとりをしたのはいったい誰だろう、なにを通わせたのだろう。今まで一緒にいたと思っていたのは何だったんだろう。

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