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集客や告知は悪なのか?

SNSやブログなどを使って、集客や告知をしている人の中には、なんだか良くないことをしているみたいな意識がある人は多いようだ。


不要なものを売りつけたり、その気にさせて求めていない人に売ったりするのがよくないだけで、「価値のあるものを、価値を感じてくれる人に、適切なタイミングで届ける」活動は尊いものだと私は思う。

まだ自分の商品やサービスに出会っていないことで、困っている人がいるのだ。まだ自分の活動を知らないことで、何かを諦めている人がいるのだ。その人たちに伝えていく活動が悪なわけがない。悪だと感じるのは、その「やり方」に問題があるのだ。


価値を感じるものに、お金を払うのは嬉しい。


私は、買い物が好きだ。
ほしいものを手に入れたり、必要なものに出会ったりすると胸が高鳴る。
ああ、これがほしかったんだ。これが私を楽にしてくれるんだ、と思えるものを探している。


お金の使い方も変わってきたので、
便利で役立つものではなくて、
自分を高めてくれるものや、
想いに共感する会社、
応援したいと思う人に、喜んでお金を払っている。


お金を払うことは喜びでもあるのだ。


ものが溢れているなかで、世の中の人が求める「かたち」は変わってきている。
目に見える、かたちのあるもの、だけが売り物ではない。


お金を払ってもらうことが申し訳ないとか、
自分をアピールすることは下品とか、
広告ってよくないものとか、
商品やサービスの告知や集客はできればしたくないとか、
そういう思いを抱えながら、「集客しなきゃ」ってやるのは、そりゃ疲れるだろう。


完全にブレーキ踏んでるもん。

今まで見てきた「集客」に嫌悪感があるのかもしれない

集客や告知に抵抗感がある人は、今まで「嫌な集客」にしか出会ったことがないのかもしれない。

「こう書けば売れる」「こういうテンプレを使えば告知がラクラク」「自動化すれば寝てるだけで稼げる」

そんな売り文句に疲れている人は多いだろう。でも、本来、自分の価値を人に届ける活動は、そんな薄っぺらいものではない。

「誰でも・簡単・ラクラク」ではないのだ。

相手の状況や立場や気持ちを考えて、何が欲しいか、何をどう伝えれば気持ちが動くのか? 考えることは簡単ではない。

人の気持ちを簡単に動かそうとする集客方法に、嫌悪感を抱くのは当然だ。


広告をわざわざ見たい人はいない、だから工夫する


広告の会社に入った時、はじめに教わったこと。
「広告をわざわざ見たい人はいない」。

だから、伝え方を工夫するのだ。

どんな言葉で、どんなビジュアルで、誰に、どのタイミングで、どんなメッセージを送るのか。
伝え方、伝える相手、タイミング、全て工夫するのだ。

相手のことを考えずに、こちらの都合を押し付けるのが集客や告知ではない。

商品やサービスは「手段」に過ぎない。その先の伝えたいことは何だ。


どんなものであっても、商品やサービスは、手段である。
それを使って、何を変えるのか。何が変わるのか。誰にどんな変化を起こせるのか。

自分は、商品やサービスや活動を通して、何を伝えたいのか。


誰かを今より少しでも楽にしたい。幸せにしたい。世の中の間違いやズレを変えたい。


何かしらの思いがあるなら、それを伝えること、広めることは、意義のある活動だ。



「集客は良くない」「告知は恥ずかしい」も、自分のことしか見てない状態

集客は良くないもの、告知は恥ずかしい

そんなふうに感じる時は、完全に矢印が自分に向いている。
自分がどう思われるか。
自分が恥ずかしくないか。
自分はこんなことをして誰かに何か言われないか。

自分のことしか見えてない状態なのだ。


見る先が自分じゃなく「相手」になれば、そんなこと言ってられなくなる。
相手のために、いま、何ができるか。


「こう書けば売れる」ではなく、自分の価値を言葉にして一番伝えたい人に伝えたい人に向けて書きました。

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