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ミライの田んぼの作り方(わたしの場合)-意識の話①

みなさん、「ミライの田んぼ」と聞いて

どんな田んぼ、どんな未来、どんな自分を思い浮かべますか?

10人居れば十人十色、人の数ほど、イメージがありますね!

どんなイメージでも、じぶんの中から湧いてきたイメージが

じぶんのみらいです!

湧いてきたイメージを1ミリも否定することなく

すべてを肯定して受け止めたいです。


さぁ、イメージしてみてください。


イメージすることが難しいと感じたひとはいましたか?

「○○はよくない」とか、何かを、誰かを否定するようなイメージが湧いてくるひとはいましたか?

もしも、そんな時は

「◯◯がダメで◯◯は良い」という思考で、一つの正解を求めずに

「自分の好みを知るために」と捉えてみるのはどうでしょう?

→「◯◯は嫌だな。じゃあ、わたしだったらどうしたいかな?」って

じぶんとお話しする材料という意識です。


例えば、

「農薬が人の身体によくない」から農薬使わないとか

「慣行農法は自然でない」から自然農法をするとか

「人工的なものは環境によくない」から使わないとか

田んぼの教室を開いてから、そういった声が、わたしの耳に入ってきた時期がありました。

二項対立的に、一方が正しくて一方が間違いと考えたら、一生終わらないループになる、とおもいました。

そしてそのループにハマると、「じぶんの意識を広げて大きくしていくこと」、「自由に発想すること」が、阻まれる気がしました。

わたしの好きな、陰陽の考え方を借りるなら、

どちらもあるから、どちらも存在している、ということ。

いろんな角度で見たら、いろんな物差しで計ったら、

そこに一つの正解、良し悪しを決めることは難しいです。

良い悪いで物事を見るとか、万人が納得する一つの正解を求める、というよりは、

「じぶんだったら、こうがいいな♡」というじぶん好みを見つけてく。

わたしの好みを収集する。

そして選択していく。

わたしには、この意識の方が好みでした。


意識が変わると、行動が変わって行く。

その繰り返しで、じぶんが思った通りのじぶんになっていくのだとおもいます。


もちろん、「型」から入るのか「意識」から入るのかはその人の好み、タイプによるとおもいます。

おそらく、そのふたつはつながっていますので、じぶんが入りやすい入り口の、どちらからでも良いはずです◎


重要なのは、じぶんのパイプが詰まっていないか、

そこにわたしは注意を払っています。

わたしは、生きてきた中で、溜め込んできた要らないもの(思い込みや思考のクセが)が引っ付いている、とあるとき気づきました。

例えば「○○が良い悪い」もパイプ詰まりを起こすのじゃないかなと推測しています。

詰まりがなく、滞りのない状態は、とても自然に流れていきます。

じぶんの望む未来、じぶんらしく生きることのインスピレーションをキャッチしやすいのではないでしょうか。

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