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人という宝物をもつ沖縄を知りなおした話

もう師走。

先月は、初旬にあった凱旋ライブをきっかけに2日から28日まで沖縄の実家に帰っていました。2005年に都民を始めて以来こんなに長く沖縄にいたのは初めてかもしれない。

これまでライブやメディア出演で帰省した際にもいくつもの素敵なご縁に恵まれてきたけど、今回の滞在期間中の出会いは速度も人数も強度もそれまでとは別次元のパワーアップっぷりでした。最初の10日間くらいは、湿度などの気候や土地の気も相まった沖縄特有のお馴染みのけだるさにあてられ『東京戻りたいなー』と思っていたのですが、半ばを過ぎギアが入り始めると個別の事象は到底書ききれないほど毎日が慌ただしく、あっという間にひと月たちました。
もともとは、パーカッションの豊田稔さんとサックスの庸蔵さんと私、という東京で演奏するときのいつものトリオ編成でライブを2本、そして私が1人で歌いに行くニライカナイまつり(フェス)の計3本のライブのために組んだ沖縄遠征でしたが、トリオとして急にお誘いいただけたり、また稔さんと庸蔵さんが帰京した後も私がソロでお誘いいただくなどし、滞在中は演奏やトークをする機会を予定の他にも思いがけず7件いただきました。どれもすっごく楽しい、新たな発見のある時間でした。
初めて出会った方の繋がりで後日新しい場所に出会い、そしてその場所で出会った方の繋がりでまた新しい場所に出会う・・・というような、また偶然の出会いが面白い繋がりをはらんでいることもしばしばで、沖縄における人脈の醍醐味みたいなものを初めて垣間見た気分です。ときには勇気を試されて心地よい緊張を味わい、喜びや驚きやわくわくがあり、そして全体的にちょっぴり狐につままれた心地の不思議なひと月でした。

今までの沖縄滞在と何が違ったからそうなったのか、、、違っていたのは恐らく私で、昼間フルタイムで7年半やっていた派遣の仕事を9月末で辞めたのです。音楽だけでは食べられるはずがない、と思いやっていたのだけど、逆に昼間仕事に時間を割いているから音楽で食べられる状況が作りづらくなっているのでは?と今更ながら思ったわけです。
昼間の職場では社会一般的なことをたくさん教えていただいたし、これからも永く付き合っていくであろう素敵な方々にも出会いました。でも思い切って辞めてみた瞬間から、いままでコネクトしそうでしていなかったご縁や機会に恵まれるようになりました。そして『ミュージシャンです』と名乗ることにひっかかりを感じなくなり、逆に自分の音楽に覚悟を持てず昼間別の仕事をしていたそれまでの生き方に後ろめたさを感じていた自分の気持ちに気付きました。今までにないレベルで自分に向き合いはじめたし、それと連動して沖縄にもより正面から向き合えるようになった気がする。

やっと沖縄に届きそう、音楽で。やっとゼロ地点に立てそう。覚悟ができていないうちはスタートラインにすら立てないものなのかもしれません。それは私の故郷に対する執着心のせいもあろうと思いますが。

私は21まで首里に生まれ育ったのだけどその年数のうしろ半分の期間は内面的にだいぶ調子が悪く、自己嫌悪と疎外感に苛まれ、現実感がなく、自分に価値を感じられず、負の方向に自意識過剰な日々を過ごしました。
そして自分で作ったイメージでしかない『沖縄』に対して愛着とそれと同量の憎しみを持ち(この感覚は同郷の友人でも共有できたりできなかったりなので日本本州に生まれ育った方で謎に思われる方も多いかも)、苛立ったり悲しんだりしていました。自分の不甲斐なさと、県内外のメディアに触れるほどに屈辱感と無力感に苛まれる沖縄の存在をいっしょくたにしてチルダイの靄の中にいた。東京に出た後のほうが相対的にずっと心穏やかでした。

日本内での沖縄を取り巻く状況は、『以前より発言に耳を傾けられるようになった』という変化はあったものの置かれた理不尽な状況は私の小さい頃からたいして変わっていないように思います。しっかり見て考えていたい。しかしそこだけ見続けるとただただ心は殺伐として、怒りの権化になっていきそう。希望の気配も希薄になっていってしまいそう。自分を持たず、沖縄に跋扈する魑魅魍魎や悲しみにシンクロしていると飲み込まれていってしまう。

沖縄の側面。現在進行形の解決困難な問題の現場そのものでありパンドラの箱。あるいは美しい空と海と明るい音楽の癒しの場所。でもそれ以上に沖縄を形づくる重要な要素が、人。今回在沖中に感じたのは人の底力でした。あの分野にもこの分野にも、尊敬できる軸のぶれないエキスパートが存在するということ。そして、ジャンルを越えて互いに繋がっていることも多く、すぐに会いにも行ける。なんてしなやかで馬力のある場所なんだと驚きつつ納得しつつ、なにより生命力を感じました。もちろん音楽の分野だってそう。

東京に出たことで曲を書き演奏活動をしだして11年になります。今も一緒に演奏している大切な音楽仲間はほぼ全員東京で出会った。そして、東京にいなければどの曲も存在しなかった。
さて、じゃあ今。
沖縄に戻って東京とは違う方向性で自分の音楽を探すときなんじゃないか、と思ったので、2017年2月から拠点を沖縄に移すことにしました。
11月終盤、那覇市のSOUND M'Sでの打ち上げの場で、今回出会った超絶素晴らしい音を奏でるミュージシャンの皆さん(演奏を聴いて本当にびっくりした)に「沖縄に帰ってきなよ」としきりに言っていただき「そうします」と口にしたのですが、本当は11月初旬のトリオでの3daysが終わった時点でぼんやりと、私は沖縄に戻るのかもしれないと直感していました。

戻って何が残せるかは私次第ですが、11年前とまったく逆の朗らかな気持ちで沖縄に向き合えるようになったことと誇れる故郷があること、そして東京での11年間、に感謝しつつ、心機一転やっていこうと思います。
でもこれからも東京にしょっちゅうライブしにくる予定なのでみんなに会う頻度はどのみち変わんないかな。
show must go on.
これからもよろしくお願いします。

はやめに引越しの準備しよう。

#コラム #エッセイ

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