言語化とノイズ
自分の感覚を言語化したい
っていう時に
他者のための読みやすさ
伝わりやすさ
理解しやすさ
そんなのを考慮していたら
ノイズにしかならない
そういう時はもう
他者目線とか一旦全廃して
手が動くように書かせる
意味不明でもいい
読まれなくてもいい
自分のための行為だから
ノートに書いて机にしまっておけば?
なんて
そんなのも
どうだっていい。
書きたい場所に書きたい
たぶん、そういうことを脇へ置いてしまう時間が長かったから
脇へ置いた方がいい、と思っていたから
言語化脳が壊滅的に瓦解したり
そもそも、書きたい気持ちが薄れるばかりだったり
自分にとっての弊害しかなかったような気がする。
人に読まれてほしい時の文章と
そこは度外視の時の文章
違って当たり前だ
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