ドナルド・キーンさんは先生
先日自宅近くのショピングモール内にある本屋に立ち寄ったら、比較的目立つ場所にドーンとドナルド・キーン著作集が並んでいてびっくりした。手書きで「追悼」と書かれた大きなポップが貼ってあって、すぐに「なるほど」と思ったけれど、そこはビジネス書、雑誌、人気作家の文庫本や新書中心の書店で、そんな文学者のハードカバーがあるなんて予想外だった。便乗商法的なあざとさもなくはないだろうが、著作集を揃えたところに書店側の強い意気込みを感じた。キーンさんは尊敬されているのだな、としみじみ思った。
実はここ数年、海外文学を読む合間にドナルド・キーン著作集を図書館で借りてコツコツ読んでいた。先月まで読んだ「明治天皇」を含めればもう半分は読んでいる。
この人の著作を読んでいる理由は大きく分けて二つある。一つは日本文学の魅力を学ぶためだ。読書は好きだが主に海外文学が中心で、実は日本文学は苦手だ。特に古典文学がダメダメである。紫式部「源氏物語」を読もうとトライしてるが、雨夜の品定めの場面で4回くらい挫折してしまう。高校生の時、
「あんな思い上がった最低の男の話が、なぜ日本文学の最高傑作ともてはやされているのか?」
と古文の先生にかみついてしまったほどである。そのためNHK放映のドナルド・キーンさんのドキュメンタリーを観て、日本に魅せられたきっかけがアーサー・ウェーリー翻訳の「源氏物語」と知った時の衝撃は、うまく言葉に表せない。でもこの米国育ちの学者さんなら、僕が気付かない日本古典文学の面白さを教えてくれるかも、と考えたのである。
もう一つの理由は、この人の第二次世界大戦時の体験の記録に興味を持ったからである。そもそもの発端は5年くらい前馴染みのビールバーでいわゆる「真珠湾はユダヤの陰謀」「南京虐殺は無い」的な本を信奉してる客(いい歳でそれなりに専門的知識を要する仕事をしている人)に出会い衝撃を受けたことに始まる。その後、日本会議やヘイトクライム、ネトウヨの跋扈等、筋の悪いことに凝り固まった人々が表面化してきて、唖然としている。またその同時期に飲み仲間の米国人から「なぜ日本はアメリカに勝てると思ったのか?」と質問され答えに窮した経験もあり、日本の戦前戦後の現代史を自分なりに見直し、世界史的観点から文学作品も利用しつつ、このネトウヨの跋扈の根本的原因を自分なりにじっくり調べてみようと思ったのだ。
日本古典文学の方はなかなか手が回らないが、戦争時の日本人のメンタリティの考察については、ドナルド・キーンさんの著作がかなり役立っている。難しいテーマだけども、できるだけ早いうちにその途中経過をここに発表できればと考えている。