【百科詩典】こどもにせっするとき【子どもに接するとき】

教育システムや家族システムが自明の前提として採用している「子ども」の概念そのものの改鋳という仕事こそが喫緊の思想的課題ではないのか。(中略)
教育制度や家庭制度そのものを改善するのはたいへんな手間と時間がかかるし、どう変えるかについての社会的合意の形成も困難である。
しかし、学校や家庭にかかわる個人が自分のマインドセットを切り替えるということだけなら、誰にでも、極端に言えば、その日のうちにできる。(中略)
私たちがここで勧奨しているのは、「子どもが何を考えているのかわからない」「どう対処していいかわからない」という事実を「早急に修復すべきトラブル」とみなさず、むしろ「子どもが何を考えているのかわからなくて当たり前」「どう対処していいかわからなくて当たり前」という仕方で、「肚(はら)を括(くく)る」ことである。(中略)
「子どもはこうあるべきだ」とか「子どもはこうあるはずだ」という信憑が子どもに接するときのオプションを限定し、いま子どもたちに起こりつつある前代未聞の変化を理解するフレキシビリティを損なっている。

~内田樹『14歳の子を持つ親たちへ』