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10年越しで見つけた「好きなこと」(片想い的)

10年来、私淑している内田樹先生にとうとうお会いできました。鎌倉にありそうな路地裏に佇む、庭の竹藪が印象的な「和カフェ」のような所に「貴殿もどうぞ」みたいに誘って頂き、緊張で会話の内容はほとんど覚えていないのですが、内田先生の所作や声の温度を間近で感じた気になった、夢のようなひと時でした。何故このような機会を得られたのかもあやふやで、風景が淡くてあいまいで、本当に夢の中みたいだなぁ、と思ったところで、やはり、目が覚めました。

しかし、興奮しています。夢の中とはいえど、10年越しに叶った内田先生の初出演です。源氏物語の姫たちが光源氏に対して「なんで私の夢に逢いに来てくれないのよぉ。私への想いが足りないんじゃない?」と恨み節を和歌で詠んだとか詠まなかったとかありましたが、その理屈で言えば、内田先生が「逢いに来てくださった」のですから、大興奮です。裏を返せば、10年間一度も「逢いに来てはくれなかった」のですから。男同士でなんだか変な話ですが、この夢での初遭遇に、運命というか啓示のようなものを意識せざるを得ないのです。10年の意味を考えてしまいます。

「好きなことが見つかるといいですね、見つかったら夢中で頑張りなさい」というのは、若い人に向けた常套句ですが、とっくに見つけていたのに「ああこれが『好きなこと』だったのか」と気づくまでに時間がかかる場合も多々あるかとお思います。僕は気づくのに10年かかった、ということです。「内田先生の言葉に触れて、悩んで、伝えていくこと」が「好きなこと」だったということに。

勝手に師匠だと思い込み、10年間、私淑をしていました。その中で内田先生の「贈り物」の考え方が漸く僕の魂にも宿り始めてくれたのでしょうか、(師匠に失礼な言い回しですが)たぶん僕より先に亡くなる内田先生から贈って頂いた言葉を、後世にも贈らなきゃと使命感を持つようになりました。そして今、その使命感のおかげで、日々僕が個人的に悩んだり話したり書いたりしていることにも、確かな意味合いを見出していける、誰かのための言葉に変えていける気がしています。この作業が僕の「好きなこと」だったのかぁと気づいた10年目です。

さて、勝手な使命感ではしゃいでいる、こんなアラフォーおじさんが東京にいることなんて、もちろん内田先生は露知らず。どうか暫くはそのままで。もし今、ご対面してしまったら、未熟さのあまり「破門」されてしまいそうですので。(そもそも弟子にしてもらえていないので、これも相当に厚かましい話ですが)