真ん中

現実的に起こっていることと、心の中で起こっている事は、全く違う次元の話になるが

お互いが確実に連携して起こっていることと思う

物質を求めて漁る人々の心が虚しくなっていったり

精神を求めて旅する人々が物質を手放すように

何かしらの関係性がある

この二つが(厳密には全てがグラデーションのような段階になっていると思うけど)同時に存在するのがこの世界で生きる事という事だとする

どちらか?この二択?そうは思わない

どっちつかずという言葉や、芯のない人間、八方美人という言葉がそれを邪魔する

そういうものにこだわっている事自体が何か変、違和感

二極化を進める原因の一つになっていると思う

筋の通った人間や、芯のある人間、しいては自信のある人間というものに憧れがあるが現実はそうはいかない、綺麗事だけじゃ生きられないと言う

僕が過去に出会った人で、物質的には満たされているが自分よりも物質的に劣っている人をクズと総称している人がいた、それがその人のいう芯のある人間というのなら僕はあまりにも虚しいと思った

そういう優越感の順位など見る人によって簡単にひっくり返る事を知らない

そういう面では確かにその人はそういう芯を持っているのだろうと感心してしまうくらいだ

飛び抜けて素晴らしいものを持っている事が人間として素晴らしい事なのか?

僕はそうは思えない

最初に述べた二者択一の通り極端な選択を迫るものが正しいこととは思えない

むしろこの時代で言えばそういう事がカッコいい事と思われるのかもしれない

けれど、実際は、毎日自分の生活を自分で支え、今日も疲れたなと眠りにつく

起きたらなんだかんだで今日を全力で頑張る、たまに気分が乗らない日でも、やるべき事はしっかりこなす

そんな人間関係の中で生き、いろんな事を学び、笑い、泣き、して死ぬまでしっかりと生き切る、そしていろんな事を思い返したりしても、全うしたならそれは芯のある人間だったのだと思う

誰かと比較する卑しい心が自分の人生を横道に逸らさせる、それが逆に人間的と言えば人間的

そんな中で揺れ動く自分の心

それが自分なのだと思って生きていく潔さが時にかっこよかったりする

それが芯ではないだろうか?生きる筋というか

華々しく稼ぎ、好き放題の人と自分を比較する意味はなんだろうか?

そうやって堕落していく

しかし生きていればまた浮上していける

墜落と浮上は何で分けられるのだろう?

人と比べるしかない?

みんな同じ人間で堕落したり浮上したりしているが、その一時の瞬間を見てその人の事を判断することはできないのは薄々感づいていると思う

そんなもののために自分を虚しくするなんて

自分に恥じる事をせず

自分に嘘をつかず

それによって人が喜べばなお良いというくらいに考えれば良い

人の為に!と意気込んで、結果として、あそこまでしてやったのになんて考えてしまうところからも人間は簡単に墜落する

見返りを求めて生きる時点で墜落してる

そういう心に自分が負けない事が芯のあるということになると思う

自分は何がしたいのか?

自分はどうするのか?

自分が今するべき事はなんなのか?
それは、仕事かもしれないし、旅行かもしれないし、区役所に行くことかもしれない

なんだって良い

人と比べる必要はないでしょう?

兎に角生きる、墜落と浮上を繰り返しながら

僕は絵を描く、僕の絵で人は喜ばないかもしれないが、僕は描きたいから描いている

人の為になるかはわからないが僕は描きたいから描いている

人と比べて自分は!などと考えている暇が無い

あの人は稼いでいるが、自分は

あの人は結婚しているが自分は

あーきりがない

そんな事で自分を貶めていても何も始まらない

僕はこれからバイトに行く、日銭を稼ぐ

仕事は楽しい

家に帰れば絵を描く

絵を描きたいから

これから先

世間的にいう、基準というものがひっくり返る事があるかもよ?

多分何かの拍子に簡単にひっくり返るけれど

結局どっちつかずとか、言われていた人が、真ん中をブレながらも頑張って生きてきた人たちはそういうものを跳ね返して生きていく

つまらない人と思っていた人が面白かったり

面白い人がつまらなかったり

金持ちほど虚しかったり

貧乏ほど幸せだったり

人間なんて比べようが無い

#画家 #飯田大輝 #芸術 #芸術家

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